主のひとり言U

 

ひとり言其の九

 

ひとり言其の十

 

ひとり言其の十一

 

ひとり言其の十ニ

 

ひとり言其の十三

 

ひとり言其の十四

 

ひとり言其の十五

ひとり言其の十六

2009年8月31日

 

昨日の衆議院選挙の結果は、超大型台風の本土直撃以上の大きな見出しで紙面を飾っている。

そして本物の台風11号は今夜から影響がでるというが心配なことだ。

今日は朝から雨、定休日なるがゆえに気をもまずに机を整理しながら久しぶりにペンをとった。

まずは先月の7月8日は毎年一度の黒木さんとのそば研修。多忙な黒木さんには申し訳ないと思いならもそばに対する強い好奇心が遠慮する心を吹き飛ばし、山形にある黒木さんお薦めの二軒を訪れた。最初のお店では、我家と同じような感じの合盛りセットを注文。そばの前にご馳走になったのが宮城の地酒「墨廼江」。山形で宮城の地酒とは思いもしなかったが、旨いものには県境とか距離はあまり関係ないのだなと思った。ここの合盛りセットと、我が家の「そば千寿」と「さらしな」の合盛を食べ比べたらどんな風に感じるだろうか? そう想うとすぐにでも家に帰ってそば粉を練りたくなった。次のお店では、よく煮込まれた鰊と漬物を肴にしてお猪口で一杯頂くも、黒木さんは運転のためジュースとは大変申し訳ないことだが、これをバネとして他店では味わえない何かを見出すことが黒木さんに対する何よりの恩返しと思っている。そしてそば研修の際には、その地方の由緒ある史跡や仏閣に案内してもらっているのだか、今回は“めでためでたの若松さまよ♪”で知られる霊場、若松観音を参拝させていただいた。今の自分がある事に感謝の念を持ちながら、帰りの車中はいつしか揺り籠となり夕方には我家に到着となった。

さて7月28日は満69歳の誕生日。小学校4年の孫からの手紙に添えられた一枚の絵を見て、思わず目元が緩んだ。この孫たちのためにも、いつまでも元気でいたいと思う。その気持ちの源の一つである小泉小学校時代の近隣在住者による同級会を今回も催した。この顔・この頭髪からあの頃の時代、今から60年以上も前のことだが、話を深めていく程に鮮やかに思い出され、いつしか気持ちも若返って尽きることなくお酒も酌み交わす。やはり子供時代の無邪気な思い出はいつまでも残しておきたいものだ。そんな思いを込めて全員で記念の集合写真を撮り、またの再開を楽しみに閉会したのは何時だったろうか?翌朝は何事もなかったかのように、それぞれ今の立場での苦労話をさかなに、朝食を楽しんだのである。

 

゛失せし髪  顔にきざみし 深いほり  飲んで語れば 髪 皺(しわ)伸びる ゛

 

2009年9月28日

 

「寿限無 寿限無 五却の擦り切れ」‥今から50年以上前にラジオから流れた落語家のお話にあった一言。何だか解らなかったが、しばらく振りに来店して下さった長田さんによって知る事が出来た。長田さんと同行の友人のお話によれば、日本画其の他諸々で活躍の大家であると云う。

我が老妻も交えて色々とお話を聞かせて頂いた。

さて9月は敬老会が花盛り。我が地区でも9月13日公民館で催され、敬老会の皆さん方と長寿の盃を二三杯重ねて帰ってきた。この日はおりしも5連休の中日。大分お待たせしたお客さんもあり、申し訳なかった一日であったと娘から聞かされた。我が家では趣の違った四種類のそばを味わって戴いているが、一緒に茹でる事もできないので多くの時間を要する事になる。そばと云う「風流」を楽しみながらそばを打つ私の想い、その想いを共有して下さる多くのお客様に感謝を申し上げると同時に、お出しするまでに時間のかかる事を心からお詫びを申し上げたいと思います

そんな事を思いながら、自分達も一生懸命に敬老会をやった昔の青年団時代を偲んだ。日記をつけながら見つけた、古ぼけたアルバムからの一枚の写真。“番場の忠太郎”や“相馬盆唄”など、皆で一生懸命練習しお年寄りに楽しんでもらった。この一枚は花笠踊りのメンバーで、後列左から二人目が自分。たしか16、7歳だったと思うが、今の顔からは想像すら難しいが、あの時の事が懐かしく思い出される。と同時に、連綿と続いている地区敬老会を現在も主催している皆さん方に感謝しこれからも頑張ってほしいとの気持ちを強くした。我が姥ヶ懐地区は、村田町においても元気な高齢者が多かったが、きれいな自然の井戸水と、若い時代のそばや麦、あわなどが食生活の重要な部分だった事がその要因と考えられる。今の食生活からは思いもよらないがその昔、そばや麦を多く食した地区の元気な方々の写真をご覧下さい。

最後列一番右が今の自分です。(胸にリボンのない方々は敬老会に花を添えたお客様です。)

 

“年寄りを敬う心いつ迄も やがて呼ばれる 敬老会へ”

 

2009年11月2日

 

しばらく続いた晴天を利用した我が家の脱穀作業も終了し、ホッとしたところの今日の雨は、なぜだか心が安らぐ。10月は神無月とも言われているが、我が村田町においては1年の中で一番賑やかな活気あふれる月となる。

先ず10月11日は町内各地区神社の御輿渡御をはじめ、800年の伝統をもつ布袋さま、村田第一中学校、そして町内会創作の山車三台が蔵通りを練り歩き、晴天に恵まれた秋祭りは遅くまで人の波でゆれ動いた。そしてすぐに始まった蔵の陶器市。全国から71の窯元が16日〜18日までの三日間、自慢の作品を展示即売。前年度にふるさと大賞を受けた事もあってか、例年にも増して賑わったようだ。一人の一寸したアイディアが真暗闇の一点の光明となり、その光明を中心として多くの人達の知恵と協働の輪が大きく広がり、今では全国に知られる村田の大イベントとして定着している。その大きなイベントを支える、決して目立たない底辺の力となって活動している商工会の皆さん方をカメラに収めたのでここに紹介したい。

そして月末の31日と11月1日の二日間、村田の蔵座敷ヤマニ邸での新そば祭り。初日は小雨のため客足は鈍かったが、2日目は晴天に恵まれ多くのお客様に来場を賜り、休むことなくそばを打ち続けた。この老体、疲れもあったがお客様に喜んでもらえた嬉しさの方が大きかった。

我々村田町の手打ちそば組合と一緒に、そば祭りを支えて下さった仙台の青葉会の皆さん方には、深く感謝申し上げたい。そして二日間にわたって総合指揮をとった商工会長さん他各役員の皆さん方と心を一つにして、前年以上の好評で終了する事が出来た。この喜びを、また来年のそば祭りにも生かしていきたい。

最後に、いま村田町商工会では、手打ちそば教室を開催してそば打ち職人の養成に努めている。我が姥ケ懐の地区でも、次代を担う若者が小泉熊野神社の御輿をかついで小泉各地区を練り歩いた。息子も今度で3回目。自分は5回程かついだがあの時の苦しみが、今ではいい思い出となっている。日本の伝統、心と手先の技 いつまでも伝えたいものだ。

 

 

゛我が里の将来君等の肩にあり 地域と神輿 担いて歩め゛

 

 

平成21年10月11日 神輿 渡御記念

 

 

2010年1月15日

 

全国的に大荒れとなった今年の年末年始、我が家周辺は、一面真っ白な清々しい元朝を迎えた。ゆっくり過ごした正月休みを終え、6日から営業開始したと思ったら、あっという間に1月も半ばとなった。今年のどんと祭は、前日からの暴風雪も午後には静まり、今年一年の無病息災を祈願した炎は天高く舞い昇った。

さて話は変わって恒例の村田町新春顔合わせ会。我ら手打ちそば組合に約220名余りの参加者へのそば振舞いを依頼された。旨いそばの条件といわれる「三たて」で味わっていただきたい、という想いで臨んだが乾杯の後約30分で全員に振舞うことが絶対条件との事。

それでも、なんとか旨い茹でたてのそばを味わってもらおうと奮闘したが、残念ながら我らの願いとは程遠いそばを振舞うことになってしまった。時間的に難しい事とは知りつつも、時間をおいても「切れないそば作り」が、我ら三人が取組む今年の命題となった。「つなぎを増やせば、茹で置きしても切れないそばになるのでは‥」ある人からこんな声もかけられたが素直にはうなずけない。やはり蕎麦本来の味を活かした田舎そばに拘わってこれからも精進していきたいと想う。

(写真右から民話の里 無刀関 千寿庵の自分)

 

 

寒さの中にも春の息吹は確実にやってきた。日当たりの場所に芽吹く福寿草の如く、寒さも苦しさも耐え忍ぶ事が、地球上に育くむ全ての生物に課せられた宿命なのではないだろうか?

末筆ではありますが、昨年中の御指導御愛顧に感謝申し上げますと共に、今年も御引立ての程宜しく御願い致します。

 

 

2010年2月03日

 

節分寒波と言う言葉を聞いたが、ここ二三日厳しい寒さが続く。お不動様の滝に入れた玄そばの実もこの寒さに震え上がっておいしい寒ざらしになってほしい、との願いを持つ我が身にとって、この寒さはちっとも苦にならない。

先月末思いがけない人が来店してくれた。今から30年以上前、葉たばこ青年部として共に仙南地方のたばこ耕作に頑張った斉さんが奥さんとご来店。自分の顔を見ての一言「千治君」で、昔の青年部に気持ちは戻った。今では、かつてのように葉たばこを作る人は少なくなったが、その中でもまだ頑張っている斉さん。一緒だった青年部時代、常に品質の良いものを作って仙南地方の耕作者の模範であり青年部のよきリーダーでもあった。あの時の事、そして現在の状況等を語り合い、しばしの間若い青年部時代にタイムスリップしたひとときであった。

何年か前、我が家の愛犬コロが産んだ仔犬。引き取って大事に育ててくれている金さんが、米国人の獣医さんと言う友達とやってきた。日本語が堪能な方で、店先にある山芋を大変めずらしがっていた。食べ終わって出て来た時、自分の顔を見て「オ−! 日本の味、あなたのそば美味しかったよ」と満面の笑みで声かけてもらった。ほめられるとうれしくなるのは森の石松だけではない。喜怒哀楽が単純に表れるこの老体。お寿司の代わりに、長さ80cm程もある山芋を差し上げた次第。帰る時に抱いていた孫をみると「オ−!リトルガール かわいいね」と言うから、記念に三人で仲良くパチリ。「また来るからね」と手を振って帰って行った。

先の斉さんといい、金さんと一緒の米国人といい、そばを通して多くの人と語り合う事の出来る幸せをかみ締めながら、一つ一つのそばに自分の気持思いを込めて打ち続けたい。その事を強く感じた今回の出逢いであった。

 

 ゛訪ねきた 友と語りしあの時は 競いて励んだ 葉たばこ作り゛

 

 

 

 

inserted by FC2 system