主のひとり言U

 

ひとり言其の九

 

ひとり言其の十

 

ひとり言其の十一

 

ひとり言其の十ニ

 

ひとり言其の十三

 

ひとり言其の十四

 

ひとり言其の十五

ひとり言其の十六

2009年3月12日

 

2月も過ぎて早や3月。庭には福寿草が咲き、蔵王の峯々には春の嵐か白い雲が立って肌を刺す。ここに掲げた写真は、「民話の里」時代からのお客様である村上さんご夫婦から戴いた、数枚の“相馬沖の初日の出”の中から、自分好みのものをここに掲載したものである。山育ちであるが故に、日の出には何故か、神々しさと力強い躍動感を覚えるのだ。

今年は雪が少なかったが、さすがに冬の川は冷たく、「寒晒しそば」の水浸け作業は身体が冷え込んだ。2月4日の立春に引き揚げてから順調に乾燥が進み、試食してもらった今年の味、“今年は上出来ですね”と、好評であった。今年も例年通り3月20日から22日の三日間と、5月の連休に寒晒しのそば粉を使い切ってしまう予定にしております。

 雪は降らずとも田舎の冬は寒い。まして我が店内は築40年前のもの。大きな薪ストーブを店内に据え付け、どんどん薪を燃やすことによって店内を暖めているのだが、その毎日の薪作りもまた重労働の一つである。ついに見かねたのか、同級生が薪割機を持って手伝いに来てくれたのは嬉しかった。お蔭様でストーブを囲んだお客様から「あったかいですね」「懐かしいです」とのお褒めの言葉をいただいたが、そのまま同級生に伝へてやりたい思いだ。昔の「鼻タレわらし」同志だった同級生の、今もって深いつながりに胸が熱くなる思いにかられる。

 今日はこれから商工会へ行って、税の申告書の点検指導をお願いしてくるが、今年も更なる思いをもってそば作りに打ち込みたい。

 

 

 

“薪を割る 我のあぶなさ思いやり 機械をもちて 友は来れり”

 

2009年6月6日

 

この「主のひとり言」も久し振りだ。前回のひとり言以降を思い出しながら綴ってみたい。

4月6日、孫たちと5人で仙台市青葉区の定義山に参拝。五重塔の前に立ち、そして資料館で建立迄の経緯をみるにつけ、日本古来からの大工さんの心意気をみた思いだ。「団地や郊外に立つ今流行の建物は日本の気候風土にうまくマッチするんだろうか?」 親方の仕事振りを見て覚えて、やっと一人前の大工さんになるという伝統的なものは影をひそめつつある今、そびえ立つ五重塔の前で諸々の思いに耽けりながらしばし佇んだ。

五月の連休に実施した「寒晒し蕎麦」。 手前味噌ではあるが、乾燥仕上・精紛・玉練りは、昨年より一歩前進したと思っている。目と鼻と手触りだけのそば打ちに一つ新しく加えた作業名は題して「数珠もみ」。太い数珠を輪にしたようにして、渾身の力を込めて練り上げて切ったそばを茹で上げた妻から一言。「近頃、そばの作り方がうまくなったんでない?(うまくなったね?)」

 

そして連休明けの8日嬉しかった事があった。それは10年以上前に「民話の里」でお世話になった高橋さんご夫妻がわざわざ立ち寄って下さり、色々と昔話に打ち興じている時に写してもらったこの写真。うれしさ一杯の自分を自己紹介のつもりで掲載しました。勤務の都合で転勤された阿部さんは、その地方の物産、食の情報などを提供していただいており、自分のそば打ちに巾をもたせる大きな原動力になっている。 高橋さんや阿部さんだけでなく、以前お世話になった多くの方々が店を訪ねて下さる事に胸を熱くし、尚一層香り立つそばを打ち続けたいとの思いを深くした次第。

 

5月末の31日、夕方から取り掛かった「たまゆら郷の産直市」の開催準備終了後、今年も尚一層の地域振興のために頑張ろうと、皆で祝盃を上げた。この後も気の合った者同志で飲み直し、いつ寝たのか記憶にない。ふと目を覚ましたら枕に足がのっかっており、時計を見たら6月1日の10時を過ぎていた。

 

 

 

 

 ゛うまい酒 盃を重ねる 度毎に 味はなくなり 我もなくなる゛

 

2009年6月22日

 

長年の夢であった「信州長野のそばを食べてみたい」との思いが、14日からの二泊三日の旅『善光寺〜諏訪大社〜高尾山参拝』で、ようやくかなうことができた。

14日早朝に村田を出発し、高速道路を快適にバスは走り、お昼には善光寺に到着した。宿坊での昼食は待望のそば、そして夜のホテルでもお膳には本場長野のそばが添えられてあった。しかし、「そばはやっぱり茹でたてに限る!」との思いを強くしたのは自分一人だけではなかったようだ。我が家では「何時に行きますから‥」という早目の注文を頂いても、店においでになってから茹であげてお出しする事を本分としているが、やはりそれが一番のようだ。ドライブインや大衆食堂と違い、それぞれの好みに応じて四種類の茹でたてそばを提供することで「本来の旨さと香りを味わってほしい」という我が家の思いを、善光寺参拝を通して強く意をあらたにした。団体旅行なるが故にぶらりと一人、町のそば屋さんの暖簾をくぐる事はできなかったが、それはいつの日にか家内との熟年旅行の楽しみとしたい。

 

自分は早朝からのバス旅行で遊び歩いているなか、立ち上がる茹釜の湯気を浴びつつ一日中そば茹でをしていたであろう、我が老妻の姿を万座温泉の湯気の彼方に思い浮かべると、何かしら心苦しさと済まなさを感じるのは、ここ嬬恋村万座という地名のなせるわざなのかも知れない。それはそれとして、善光寺の本殿前 「御柱に直接触れると深い得を得られる」という話を聞いた竹野さん、「あらまあ〜」と感極まって特に念入りに触れていたようである。

 

翌日、「千曲川旅情の歌」作者である島崎藤村になった気分で、   「小諸なる古城のほとり〜♪」‥諸々の思いを込めて城跡にたたずんだ。「佐久の鯉太郎」の歌で知られる佐久での昼食。その後、白樺湖から諏訪市内「さざなみの家」での研修を済ませ諏訪大社へ。あの7年に一度の勇壮な御柱祭を想うに、今も息づく命がけの信仰の深さには頭の下がる思いである。

途中立ち寄った白樺湖の光景に“ここは日本なのか?”と目を疑った自分は、田舎の年寄だったと云う事である。また、きれいなさざなみを想像していた諏訪湖で目にしたのは、湖岸通に林立するホテルや大型旅館。“自然の美しさは人の手によって失われつつある‥” そんな想いで夕暮れの諏訪湖に見入った。

 

そして最終日。キャベツ畑やぶどう畑をバスの左右に眺め、後部座席では何を語り合うのか楽しげな様子。途中談合坂SAで休憩し小雨降るなか高尾山へ。急なロープウェイと急階段。皆でがんばって参拝を済ませた後は、八王子エルシという結婚式場も兼ねる大きなレストランでの昼食。その昼食にだされた味噌汁のうまさ。おもわず村田の蔵出し味噌の味を思い浮かべてしまった。久しぶりに旨い味噌汁の余韻を残しつつ、日本の道路工学の粋を結集した高速道路をバスは走る。大東京の混雑をさけるように、もぐらのごとく地下を潜り郊外にぬけ、そしてふるさと東北自動車道を走り夕方には無事村田へ到着となった。

 

 

 ゛善光寺諏訪の大社と高尾山  68(ろくはち)にして 初の参拝 ゛

 

 

 

 

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