主のひとり言U

 

ひとり言其の九

 

ひとり言其の十

 

ひとり言其の十一

 

ひとり言其の十ニ

 

ひとり言其の十三

 

ひとり言其の十四

 

ひとり言其の十五

ひとり言其の十六

2010年2月22日

 

本日は平成22年2月22日、2が五個も重なる日が偶然にも定休日。晴天にも恵まれたので、近くの山形そばと銘打つ店へ出掛けた。山形そばに対しては、“少しゴツくて味わいが濃厚”というイメージがあったが、空腹だったこともありノドごしつるりと胃袋におさまった。自分の作った(切った)そばは末広がりやいかだがあったりだが、さすが名人の切ったそばはきれいで美しいと感心して帰ってきた。

庭先に乾燥中の寒晒しそば。川から引き上げた後は寒暖の差が激しく、日当たりのいい時や雪が積もったりもしたが、乾燥も順調に進んでおり美味しい寒晒しそばが期待されそうだ。

今から15年ほど前の「民話の里」時代に、そばについて色々と教えを頂いた秋野さんに紹介された「そばの科学 長友大 著」。 中味をすっかり理解できないまでも要所要所を自分のものとしているが、特に気に入ったのが「村夜」という白楽天の詩なのだ。若い時は食品関係の仕事をしておられたという秋野さん。写真が大の趣味で、しばらくみえないと想っていると、日本各地の山やきれいな風景写真等、一杯持参して店においてもらったりしている。80歳半ばを越したにもかかわらず、暖かくなるとカメラを持って各地を写し歩く元気な秋野さんの姿が目に浮かぶ。この「村夜」という詩からは、広涼たる中国奥地に一面に咲く白い蕎麦の花が想像されるが、昨年仙台の星さんから頂いたそば畑の写真と白楽天の詩を紹介しつつ、2が五個重なる日の一人言としたい。

 

 

「村 夜」  白楽天

霜草蒼蒼蟲切切  村南村北行人絶

独出門前望野田  月明蕎麦花雪如

 

 

 

 

 

2010年4月26日

 

今年の天候は何だか変だ。寒い時に暖かかったり、4月の桜の開花時に雪が降ったりで、どこか狂っているような気がする。そんな天候のなか、町家の雛めぐり、村田物産センターの『道の駅』としてのオープン、蔵の工芸市などの各種の催し事は、皆さんの努力と協力でつつがなくこなしてきたようだ。我家でも、3月のお彼岸の中日から寒晒しそばの提供を始めたが、多くのお客様に御来店賜った。家族一同心からの感謝と同時に、来年も独自の方法で他店では出来ない味わいを出し、おいでになるお客様に御礼の心としたいとの念を強く持った。

亡くなった父は宗さんが好きだった。その訳は「有名になるとすぐ東京にばっかり行って活動するが、地元仙台で一生懸命頑張るその姿、その気持ちが好きだ。だから宗さんが大好きなんだ」と言っていた。その宗さんに15年程前、民話の里でそば作りの基本を教わった時、終了後二人で記念に写してもらったのがこの写真、今見ると自分も大分若かった。この出会いが今の千寿庵につながっている。道の駅オープン記念として宗さんのコンサートが開かれる事を聞き、急ぎチケットを手に入れると同時に、“当日にはぜひ早春賦を聴かせて下さい”と厚かましくもお願いのハガキを宗さん宛に出した。その願いがつうじたのか、コンサートの中盤に早春賦を歌ってもらった時は涙が出る程うれしかった。コンサート終了後好きなCDを求め、二人揃っての写真は今度で2度目。早春賦と写真、うれしい思いで仏壇の父に報告したのは言うまでもない。二度ある事は三度あるとも言う、いつかまた宗さんと一緒になる時があるかも知れない。その時を楽しみに毎日のそば打ち人生に励んでいきたい。そして、大きな力をもらった宗さんに感謝しながら、その夜はぐっすり寝たのは言うまでもない。

人の集まる場所では多くの色々な人と出逢う。主のひとり言2007年12月3日、母の初七日に多賀城の沼倉さんから釜神様を頂いた事を書いたが、我が家の守り神となって千寿庵を助けてもらっている。先日の蔵の工芸市で沼倉さんの出展場所に行ってあの時の御礼を述べながら、沼倉さん御夫妻と独楽作り名人の三人とカメラに収めてきた。その時求めた独楽は、孫と遊びの中で自分の大事なものの一つとなっている。そばに味わいがあるように日本の伝統玩具にも味わいがあるものと感心した。独りで楽しむから独楽(コマ)とは誰が考えたのだろうか。日本の文字文化の豊かさにふれた思いだ。

 

  ゛床(ゆか)の上  独楽をまわして孫相手  年寄一人 喜び笑う゛

 

2010年5月24日

 

春雨というほど風流な降りかたではない。起きてすぐ田の見回りに出た。大雨に対する一応の備えをして朝飯を済ませたものの、降り止まぬ雨空を眺めつつ落ち着かぬ気持ちでペンをとった。

先月末、近くの空家を改装した「庵」に招きをうけお邪魔した。集まったメンバーはいずれも最近までそれぞれの分野での達人揃いで、持ち寄った飲み物や料理など全てに目を見張ってしまった。そして目の前に並んだそば、「オー山形のそばだ!」待ってましたとばかりに箸をつけた。聞けば山形まで出向いてそば粉を求めたという。そんなこだわりの人が作ったそばには、たちまちお変わりをする人も。やはり最新の機械設備を誇る工場で製粉される粉と、自分で挽き上げる粉とでは全てに違いがある。「田舎の蕎麦処 千寿庵」も、自分が挽き上げなければ「田舎」の名前が泣くのではとの思いを強くした。そしてある手打そば教室の方々が「この粉は荒いから気をつけるように」と声かけ合っていたのを思い出し、田舎の蕎麦処と名づけた自分なりのうれしさがこみ上げてきたのだった。

そんなある日、50年程前に青年団活動を一緒に過ごした菅井君が家族一同で来店してくれた。一緒だったのはわずか二年程だったと思うが、菅井君は大望を抱いて東京方面へ。自分は夜間高校へと別れ別れになって約50年。今は仙台近郊に居宅を構へ、野菜作りのグループの方々と来店してもらっている。今回は家族連れだったので、昔を思い出して当時の青年団活動の証拠写真を添えてみた。これは昭和32年9月8日、ここ姥ヶ懐分校での青年団主催の敬老会の記念写真であり、後列左から3人目が自分。同じ後列右から2人目が菅井君。面長で色白に加えて花笠踊りに加え、歌っても芸達者だったので敬老会の演芸部門での人気者だった事も記憶に新しい。ついでながら、中列左から二人目が自分の祖父、その前に顔を出している幼な顔が、今自分のHPを作ってくれている末の弟である。古くなって値打ちが出るのが写真であり、あの時の事が鮮やかに思い出させてくれる写真を撮った使い古しのカメラは、大事にして店内の一隅に飾ってある。若くして知らない土地で苦労したからこそ故郷に居を求め、気のあった人達と悠々自適の野菜作りに汗を流し、時折フラっと訪れては昔話に花を咲かせる時もあるのだ。

 

 

  ゛ 旧友(とも)きたり 杖はなけれど花が咲く 若きあの日の思い出語れば ゛

 

2010年7月5日

 

先月初め、折をみて白石の斉川付近に足をのばした。地元新聞紙の連載小説で、源義経に関わる厚樫山の戦いの様子を画いている最中だったので、何となく足がそちらを向いたのだ。

鐙摺坂、田村神社、そして甲冑堂において、継信忠信兄弟二人の嫁さんの親孝行の心に、あの松尾芭蕉も涙したという。神社の奥さんの切実たる説明は真に迫るものを感じ、しばらくは甲冑堂を離れられなかった。説明の後の世間話で、奥さんは村田町の出身と聞いて尚一層の親近感を覚えた。そして、継信忠信兄弟にまつわる物語に強い感動を受けたお礼を申し上げ、二人の孝女像を前にして写真を撮らせていただいた。

二人の嫁さんと姑さんは血のつながりもないが、若武者姿になって母を元気づけようとしたこの行為は、強い家族の絆と強い夫婦の結びつきがあればこそであり、これをたった一つの文字で表すならば「孝」の文字以外にはないと思う。帰りの車の中、汗と甲冑堂での感動の涙が一緒になったが、本来の人の道をきかされたようなさわやかな気持ちになって家路を急いだ。

 

  ゛我が国の 行来如何か 思われる  夫婦別姓  叫ぶ人あり゛

 

2010年9月23日

 

今年の夏は暑かった。

7月18日から9月5日までは雨らしきものはさっぱりなし。

仙台七夕に必ず降ると言われたジンクスも何のそので、その暑さは尋常ではなかった。

しかしながら、ようやく9月6日夕方の雷雨があって以来今日まで雨や曇りの連続で、秋野菜の播種や稲の刈取もままならぬ毎日であった。そうはいっても、豪雨はともかく春雨や秋雨は何かしら心が落ち着くものだ。

今日は秋分の日でありお彼岸の中日、そして本年9月で開店6周年を迎えた。しとしとと降る雨の中、来店いただいたお客様に対して一人50円引きではあるが、これまでのご愛顧のお礼とさせて頂いた。

道の駅となった物産交流センターには毎日多くのお客様でにぎわっている。そのお客様に、村田の町内をよく知ってもらうべく、商工会ではヤマニ邸に観光案内所を設けて3人のスタッフが常駐しているのでぜひお立ち寄りを。

そしてその隣のカネショウ商店は、店内に一歩入ると何かしらホッとする雰囲気のお店、お話好きな主人が商売そっちのけで、村田の歴史や諸々の世間話で楽しい一時を過ごす事が出来ます。

 

 

 

 

 ゛久方に 心静かにペンをとる 暑さ耐え抜き 迎えし(彼岸の)なか日゛

 

2010年10月28日

 

今年の寒さは急に来た。北のある街では30cmの雪で、今年最初のささら電車が走ったと云う。、そうかと思えば先日の奄美大島では、大雨によってお年寄りが死亡するなどの大被害もまだ耳に新しい。おだやかな四季の移ろいによって、人と自然は一体感を伴って生活してきたが、暴れる自然界と同様人間社会も色々と嫌な事件が多すぎる。

そんな中にあっても我がふるさと村田町では、9月と10月は人と人との出逢いを大事にするお祭りや催しがたくさんあった。その一つが9月19日地区公民館での敬老会。唄や踊り、そしておめでたい桜ウーメンの提供などで楽しい一日を過ごしていただいた。踊りでは今までと違い、農協婦人部有志によるフラダンスを踊ってもらったが、皆さん童心にかえって喜んでもらった。

10月に入って、10日は800年の伝統をもつ布袋さんや、奥州の蛇藤で知られる白鳥神社のお神輿や町内会の山車が蔵の町を練り歩き、また小泉などの各地区でもお神輿が集落を練り歩き、晴天にも恵まれたこの日は秋祭り一色の村田町であった。

その祭りから5日後の15〜17日の3日間は蔵の陶器市が催された。69の窯元が店蔵に自慢の作品を展示販売し、約4万5千人ほどのお客様が訪れた。そして我家にも多くのお客様に来店していただいた。

それにしても、数字とにらめっこの経理関係の仕事ばかりが商工会と思っていたが、村田の商工会はお祭り商工会か観光協会かと思うほど様々な催しを企画実行している。それでいて本来の業務をこなしているのだから、そのご苦労には頭の下がる思いである。その商工会による20日21日の先進地研修に参加させてもらった。昼食ではB級グルメで有名になった横手やきそばを食べたが流石にうまかった。鰺ヶ沢温泉に泊まっての帰りの昼食は秋田名物のきりたんぽ、タレは比内鶏だったが雉にも劣らぬその味わいに感心したが、三つ葉を添えたお吸い物の一品だったら最高だと自分は思った。その事を強く思ったのはその後、地区のお年寄り30人程が公民館での悠々げんきクラブの集まりにたまゆらの新そばを振舞った時。その新そばにも比内鶏のタレで食べてもらったが、どんなに美味しいのかと最後にゆっくりと自分も味わったが、自分の舌には頷けないものがあった。さすがに比内鶏の味は美味しいが、いくらかみ締めても比内鶏のタレ味だけが先行してしまって新そばの香りが味わえなかった。

鴨とか比内鶏で美味しいタレを作ってみたいとのこれまでの思いは、今回の事を思い合わせると、我が家のそばには“家内のつくるシンプルなタレ一筋でいい”ということを確信した10月であった。

 

 

   ゛比内鶏 鴨とかいろいろ 味あるも 俺のそばには カミさんタレよ ゛

 

 

 

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