主のひとり言U

 

ひとり言其の九

 

ひとり言其の十

 

ひとり言其の十一

 

ひとり言其の十ニ

 

ひとり言其の十三

 

ひとり言其の十四

 

ひとり言其の十五

 

ひとり言其の十六

2016年9月5日

 

忙しくて更新がままならず、おおよそひと月前のひとり言ですがご容赦ください。

先日の台風10号は岩手と北海道に大きな被害を残し、そして又12号が九州地方で暴れていると言う。被害にあわれた方々、特に岩手の岩泉町では高齢の方々に被害が多かったとの話に胸が痛み、心からのお悔みと御見舞を申し上げたいと思います。

昨日そば打ち終了後、辛味大根の藩種作業を行った。お客さんとの会話で「辛味大根の美味しさはたまらないですよ」との一声に励まされたが、夜になると腰が痛い、体の節々が痛い等と口走ると、家内からは「あんまり余計な仕事はしないでそばだけはきっちりやって」と言われる。しかし元来が百姓なので、一つの仕事が終了すると又別の仕事が眼に浮んで、あれもこれも思う気持ちだけが先行して思うようになら ないのが 実状だ。

先日、芋掘りの手を休め、目に良いと言われているハックルベリーを摘んで竹内様にお送りしたらお返しのお葉書がこれ。短い文章ではあるが読むほどに奥深い内容で思いが伝わってくるから不思議なものだ。元仙台中央郵便局長さん、今は青森県県人会の会長さん他色々な要職をこなしながらその活動範囲は広く、“自分のような者がおつき合いをさせてもらっているのが余りにも申し訳ない”という気持ちをいっぱい持ちながらも、そばを通しての縁に感謝しながら又明日からのそば打ちに励もうと思った次第。

 

    “ネギ大根 暑さに負けず 手入れする なくてはならない そばの薬味”

 

   “我身には つり合いとれぬ方なれど  結びつながるそばのおかげで”

2017年1月30日

 

忙しくて更新がままならず、今になってようやく今年初のひとり言を書き綴りました。

遅ればせながら寒中お見舞いと併せて、昨年中のお引き立てへの感謝と本年のご指導とご愛顧をお願い申し上げ新年の祝詞といたします。

毎年のことながら20日は大寒、この日玄蕎麦をタンクの水に浸して寒晒し蕎麦の仕込みを開始し、節分に引き上げて乾燥手入れを経て、春分の日の提供を目標に3日に一度の揺すりと水の交換をしながらの毎日です。ひとり言はしばらくご無沙汰しましたが、昨年11月末日をもって民生委員を退任しました。なにかしらホッとすると同時に在任中の思い出となったことを記したいと思う。

一つは平成27年11月全国福祉大会が日比谷公会堂にて開催されて職員同道のもと参加、席は最前列正面、舞台上の厚生大臣の姿を拝することはうれしかった。

そして昨年11月第62回宮城県社会福祉大会に同僚とともに参加、全国のそしてまた県の社会福祉大会にも最後となる参加をもって民生委員の任を終えることとなった。関係する多くの方々のご指導があったればこそと深い感謝の念を厚くしながら、得難い貴重な体験の数々をこれからの老いたるわが身の糧として、蕎麦を通して多くの方々との交流を更に深めたいとの思いを強くした。  

最後に元旦の日記に書きしたためた“みそひともじ”を並べて平成29年最初のひとり言としたいと思います。

 

“彼の仕事 我の一部となりぬれて 過ぎしみととせ 夢かまぼろし”

 

 “永年の 体験糧にこれからの 蕎麦にかけたい 老いたる人生”

2017年3月6日

 

大寒の冷たい水にさらした蕎麦の実も、すっかり乾燥したので片づけて唐箕で選別をし、磨きをかけた後製粉をするばかりとなった。毎年同じことの繰り返しではあるが、その都度また新たな発見もあることは面白いものだ。今年は77歳、玄蕎麦一袋22Kgをやっと持つようになって体力の衰えを感じるが、無理のないように自分のペースに合わせて蕎麦屋を続けていきたい。庭には、福寿草も花開き、3月下旬には町屋の雛めぐりが開催されます。そして4月には相山公園の桜、大河原町の一目千本桜と咲きほころぶ頃となります。各地お出かけになりましたら、その帰りには是非我が家へのお立ち寄りをお待ちいたしております。

 

"福寿草 我が家の庭に 春一番"

2017年4月17日

 

4月になると農作業の準備、それと世間一般では会社の異動や転勤の時期でもあり、桜のにぎやかさと同時に別れの寂しさも併せ持つ季節でもある。

朝食後に苗代、そして農機具の点検など体をやすめることなく、次から次へと仕事をこなす一日なのだ。一息ついて今回の転勤で鳥取へ行った平本さんのことを思い浮かべた。戦艦大和とか厳島神社など、広島の方だったので、それらのことをいろいろと聞かせていただく常連さんになっていただいた。大和のストラップとか戦艦大和の絵葉書などをいただき、いつしか自分の心は大和ミュージアムに行ったような錯覚になったりもした。今回鳥取への転勤を聞かされ寂しい思いに駆られたが、来店最後の日に記念の一枚を撮らせてもらい、新任地でのご活躍を家族でお祈りした次第。   

戦艦大和といえば、プラモデル作りの名人大沼さんに作っていただいたのがこれ。店に飾って多くのお客さんに眺めてもらっているが、旧日本海軍艦艇に関しては百科事典なのかと思うほどで、帰り足を引き留めてお話を聞かせてもらうこともしばしばあった。その大沼さんと粉挽き姿で出会った時、自分が粉まみれになっているのを見て驚いたようだったが、「あんまり無理をしないで、体あってこその蕎麦やなんだから、無理はだめだよ」と労わりやら諭すようなこの一言。花粉症ではないが目にかゆみを覚えながら、帰り行く大沼さんの車に一礼しながらかけられた言葉を深く胸に刻み込んだ。またこうも言ってくれた「蕎麦屋辞められると、食べにくる楽しみがなくなるから体だけは大事にね」と。

10年前の開店当初は、玄蕎麦一袋22Kgは重くもなかったが今ではやっとの思いである。ましてや玄米一袋30Kgは、なんでこんなに重いのだろうとつぶやくようになったのは、相対的に体力の衰えではある。77という歳にあわせた作業をすればよいのだと自問自答し、お客様からの労わりの言葉などを心の糧としながらゆったりと蕎麦を作り、その蕎麦を婆さんと娘が手間暇かけての提供する。立ち食い蕎麦の感覚でなく蕎麦との会話を楽しみながら、千寿庵の蕎麦を賞味していただきたい、そんな思いを強く思うようになった。

 

“この いのち いずるしあわせ かみしめて 今日を大事に 明日へとつなぐ”

2017年5月14日

 

5月の連休中、混雑により大変な時間待ちをされた方々へお詫びを申し上げます。とともに引き続きご愛顧のほどをお願い申し上げます。

先月24日、伊奈かっぺいさんの絵手紙展の記事が地元の河北新報に掲載され、蕎麦屋店内にある青森ねぶたの絵凧を通して知り合った竹内様からも案内を頂いたこともあり、電車と地下鉄に乗って会場の中央郵便局へ。家内は50年以上も電車に乗ったことが無かったので、乗車券は駅員さんのパンチで通過するものだとの意識があったため改札口でウロウロしている。その姿を見た孫たちから「早くこっちへ来てよ」と騒がれる始末であった。会場には、伊奈かっぺいさんと竹内様の永年にわたる絵手紙が、所狭しと展示されていた。竹内様と記念の一枚を撮ったのち、ゆっくりと眺めさていただいた。尚、つけたしではあるが帰りは家内も改札口を迷わず通り抜けることができた。ということは、少しは現代生活に慣れたのかなと感心しながら帰路についた。

そして26日は、蕎麦との縁で大青工業さんから花見の案内を受け、村田から関係者十数人で参加した。桜の花満開のもとで花見団子、つきたてのずんだ餅などをいただいた。何よりもおいしかったのは、焼きたてジュウジュウの大きな牡蠣に乾坤一を注いで飲んだ牡蠣酒、最高の絶品でそのおいしさはまだ口中に漂っている。いつも思うのだが、蕎麦は食べ物としてだけでなく、人と人をつなぐ何かがあるのではないかと。昔は蕎麦というと貧乏人の食べるものという意識があったと思うが、一人一人の生活が楽ではないがゆえに人々が協力し助け合い、農作業をはじめとして地域づくりや集落の輪を広げていったのに違いない。人と人とが一緒に結び付き、輪を広げるという思いが蕎麦の一粒に込められているからこそ、現代においても蕎麦の実から多くの方々との輪が広がっていくのではないのかと。そんなことを思いながらそばを打つ毎日である。

 

"一粒の実から広がる蕎麦の縁 異業種集いて花の宴"

2017年7月2日

 

太めの蕎麦、細めの蕎麦、そして更科蕎麦、いろいろな場所で各種各様の蕎麦を味わい、感動を深くすると同時に、一つの店で何種類もの蕎麦を提供するところはこれまで殆ど見当たらない。あるとすれば、豪華なてんぷらや鴨肉鶏肉等のスープでの丼物が多い。それぞれの趣があり、蕎麦の味わいを深めお店の売りにもなっているのを見ると、自分もやってみたいという思いもあったが、蕎麦本来の味わいを楽しむためには、必要なものかと考えた。その末に「香り10割、味外一、喉越しつるりと更科で、我が家のお勧め そば千寿」の4種類の蕎麦提供で営業を始めて10年余りとなった。

そんなある日、世間話や蕎麦談義など、元気の良い家内の昔からの幼なじみがこの老体を心配しての言葉は「じいさんも歳なんだから一つの蕎麦に絞って、楽な方法でいつまでも蕎麦屋をやってほしい、辞められると食べに来る楽しみがなくなるから」であった。たしかに、粉の挽き分けや、蕎麦切りの際の太物細物の感覚の慣れるまでのことを思うと楽は楽である。しかし蕎麦屋を始めようと発心した大きな原動力は何だったか? ほかの店でやってないことをやろうということではなかったか‥いただいた言葉は大事にしながらも平日は従来通りの4種類の蕎麦を、土日祝日だけは十割と千寿のみでお客様への待ち時間を少なくしようとした次第。

77歳の老体となった今軽くなったことが1つある。それは田植え等の農作業は殆ど休日を利用して若夫婦がやってくれるし、地区内の共同作業その他にも息子が出るようになり、その分こちらは、蕎麦打ちに専念できるようになったことだ。いま全国的に村の過疎化や人口の減少等があり、当地区においても静かに忍び寄りつつあるが、支えあい助け合いの精神で、今を精一杯生きている。その中にあって、続けて4人の方々のあの世への旅立ちを22日から30日までの間に見送った。その間に2度の臨時休業と5日の喪服着用で、仕事の疲れより亡くなった人への諸々の思いが交錯しての精神的な疲れのほうが多かった日ではあった。

 

“亡き人へ思いを巡らす日を重ね、心静かに香をたく”

2017年8月8日

 

台風5号のため時折雨風が強い本日、玄そばの磨き精粉作業の予定で休みとしたが、雨降りのなか何台かの車が見えたときには申し訳ない気持ちで胸が痛んだ。今年で開店13年目を迎え、先月28日は齢七段重ねを数え体力と気持ちが一致しないこともある。自分を労わるとともに、そば組合への共同作業の出役をこなし、蕎麦打ちに力をいれつつも、今まで撮りおきした写真や各記録の整理などにも時間をかけたいと思うようになったのは歳のせいなのかもしれない。

一時は精粉工場からの購入を考えたこともあったが、それでは自分の想いを蕎麦に打ち込むことができないのではないか‥そばの実から自分の手で昔ながらの精粉機で丁寧な磨きをかけ、作業のなかでも最も大事な「香りづけ」の選り分け、裏漉しを使って均等にしたそば粉に、つなぎと水をいい塩梅で混ぜて練り上げ、一晩冷蔵庫に寝かせることで自分好みのそばに仕上げることができる。そして、その想いをこめて打った蕎麦をそば好きなお客様に食べてもらいながら、そば談義をするのが楽しみの一つともなっている。

何年か前の宮城北部地震での被災体験を踏まえて村田町へ転勤となって5年となる戸崎巡査さん。怖いものは「がっこのしんし(学校の先生)」と「ずんささん(巡査さん)」と、昔教えられて育ったものだが、今は署長さんとともに各団体さんへの防犯教育や交通安全、振り込め詐欺防止などのお話で広く町民にとけこみ親しまれている。その戸崎巡査さんは元仙台中央郵便局勤務で、その時の上司はなんと自分が人生の師と仰ぐ竹内様だというから、これも蕎麦がつなぐ縁なのかと感慨深いものを感じる。毎月初めに駐在所便り二部を戸崎巡査さんに戴き、一部を店の玄関に、もう一部は元部下の活躍ぶりを添えながら竹内様に送り、お互いの思いを交換しあっている。その戸崎巡査さんと暖簾の前でのツーショットの時は思わず緊張した自分であった。

 

“ そばの実が ずんささんとの縁つなぐ はなし深めて教わりあまた ”

2017年10月16日

 

早くも10月半ば。朝夕の寒さが体にこたえるようになり、朝早く起きるのが辛い今日この頃である。9月に白内障と診断され両目を手術した。今は日帰り入院で済むからありがたいことだが、慣れない保護めがねと一日四回の点眼は「ずんけない(わずらわしい)」ことだ。

10月8日は秋の熊野神社の例大祭。今年もAFSの渡辺さん引率の留学生と地元村田高校生の蕎麦打ち交流が催された。言葉は通じなくても“以心伝心”で無事終了。神輿の前では地元婦人部の皆さんが作った心づくしの“芋煮”を味わっていただいたり、厄払いに獅子に頭をかまれるという言い伝えも体験してもらったようだ。最後は神主さんと神輿奉仕者一同と記念の一枚を撮り、地方の風習や伝統的文化にふれた一日を終えることとなった。

 

“ 言葉にも 国の違いにも さかいなし 心通じて祭りは楽し ”

2017年12月1日

 

早くも今日から12月、ただあわただしく過ぎた毎日だったが、77歳にして初めて経験した出来事が2つあった。

一つは、左腕が茶碗を持ち上げることもできずただ前に伸ばすことだけ、力を入れることはできるので蕎麦切りはできたが肩から天井に向かってあげることができなかった。整骨院に通うこと数回、今では頭上高らかに両腕をそろえて万歳をすることも出来るようになった。それに伴って、上半身を支える足と腰、特に左足は膝周辺に痛みを感じていたが、これも特に値の張ったインソールのおかげで、一通り元の体になったのかなと一安心した。

そして二つ目、今度は遠くがかすんでよく見えないのが苦になって眼科で検査を受けた。その結果は白内障、免許証の更新もできないのですぐ手術が必要と言われたが、どんなことをされるのか心配だった。当日は、痛みもかゆみもなく静かに風が吹くような音を聞きながら、心地よい気分でいたら終わりましたと言われ、手術後に手渡されたのが3種類の目薬。これを1日4回点眼とのことだったが、これが何よりもずんけね(煩わしい)事だった。

そんな中で迎えた今年の新そば祭り、13年前の開店時に今でも正確に時を刻んでいる掛け時計をいただいた桜中さんが来店してくださった。当時は町の民生委員会の会長職、自分はいろいろお世話になっていた最中であったし、民生委員としての心構えを教わった尊敬する人でもあり、懐かしさと嬉しさの思いを込めて暖簾の前で1枚をお願いしたしだい。

さかのぼって10月の熊野神社秋の大例祭。本年もAFS宮城支部渡辺さんの世話する留学生と村高生との交流会が我家で開催された。地方の祭りや文化を留学生の方々は自分の目で確かめながら、自分で作ったそばに舌鼓を打ちながら地元村高生との交流を深めていた。自分も少しは役に立ったのかなと嬉しく思うと同時に、人と人を傍に引き寄せる蕎麦に改めて感謝の念を持ったしだい。

 

 

 “蕎麦の実が 引き寄せ広がる人の輪が 言葉も国も障るものなく”

 

 

 

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