主のひとり言V

 

ひとり言其の十七

 

ひとり言其の十八

 

ひとり言其の十九

 

ひとり言其のニ十

 

ひとり言其のニ十一

 

ひとり言其の二十ニ

 

ひとり言其のニ十三

ひとり言其の二十四

2018年9月16日

 

蕎麦屋を開業して9月で14年目、我もまた年を重ね70歳と8年目となった。

晴天に恵まれたこの日、地区公民館による敬老会の案内を受け、過ぎし若い頃の諸々のことを思い浮かべながら出席した。公民館に対する思い出といえば、昔の主事時代5人の館長さんに仕えたあの頃、戸数100戸に満たない地区であったが、老若男女そろって秋の大運動会の時では、地区対抗の年代親子リレーや玉入れ、綱引きなど、現在ではできそうもない競技で地区全体が盛り上がったものだ。

また夏の盆踊りというと、若いお母さん方が揃いの浴衣を着た子供の手を引いて、太鼓やスピーカーから流れる盆踊り唄にあわせて、大きな輪となって汗を流し、冷たいビールやジュースで汗を静めたものだった。そのお母さん方もいつしか60代から70代となり、遠い昔の話のようになってしまった。

その当時の館長さん方は、すでに4人の方が亡くなり、最後にお世話になった館長さんは90歳代ではあるが、まだまだ元気で酒を酌み交わしながら思い出にふけったしだい。現在90歳代の元館長さんや元区長さん方からは、若い頃からいろんなご指導受けて今があることを、常に頭の中にしまい込んでいる。また民生委員在任中は3人の区長さん方から色々とご指導受けながら、地域の福祉活動その他をつつがなく全うしえたのも、地域の多くの皆様方の支えがあったからこそなのだ。そんな感謝の念を込めて酌み交わし、時間の経つのも忘れてしまったほどの敬老会であった。

今は毎日来店してくださる多くの方々と、蕎麦を通しての交流を深めながらこれからの人生を過ごしたい。

 

“生まれきて 七重八重となりし今 過ぎしを糧に余生を努む”

 

2018年11月10日

先月末に宗さんコンサートがあり、店終了後に夜の仙台を会場に向かった。オープニングは童謡の数々で、一曲終了するごとに会場からは万雷の拍手が鳴るものだが、皆シーンと静まり返って次の曲を待っている様子。客の多くは中年以上が殆どで、幼いころの思い出に浸って拍手するのも忘れてしまうほど、懐かしさや思い出がこみ上げたからなのだと思った。

幕の合間は伊奈かっぺいさんのおしゃべりトーク、手話通訳の方もしばし首をひねって一時中断することもあり、にぎやかな笑いにつつまれ終始なごやかな雰囲気の中にも、早口でしゃべる本物の青森弁はとても自分には理解し得なかったが楽しかったの一言につきた。最後は宗さんの古希とは思えぬ若さ溢れる熱唱で、あっという間に終焉となり興奮冷めやらぬ気持ちで帰路に着いた。

 11月から新蕎麦となり、3日と4日の連休はねじり鉢巻で多くのお客様に新蕎麦の香りを味わってもらった。その疲れもとれぬうち隣の地区に住む叔母が92歳の天寿を全うしたとの知らせを受けた時には腰の力が抜けた思いで、若い時の叔母の苦労を思うと涙するのをどうすることも出来なかった。若くして嫁にいった叔母はあの「おしん」並みに苦労にまた苦労を重ねること60年。老後は家族旅行や誕生パーティなど、童謡や昔話を聞かせて大きく育てた多くの孫たちに囲まれ、施設に入ることもなく最後まで家族と一緒に過ごして天寿を全うしたことは若い時の苦労が大きく実った何よりの証拠なのではないだろうか? 童謡や昔話をよく聞かせてもらったという孫のお別れの言葉は、時に声を詰まらせ最後は声が出なかった。

宗さんコンサートのオープニングメドレーが童謡だったのを思い出し、今改めて童謡のもつ力を深く感じた次第。

 

“幼子に聞かせたメロディ その唄は 夕焼け小焼けの赤とんぼ”

2019年1月12日

新年あけましておめでとうございます。昨年の御厚情に感謝申し上げ本年もよろしくお願いいたします。

昨年の年越しそばの時は、忙しいながらも注文を受けた分はこなしたが、1年ごとに腰にきくようになった。今年はイノシシの年というが、その反対に亀のようにじっくりとした歩みとならざるをえない年齢となった。数量をこなすことも大事だが、一つ一つに心を込めて、本年も頑張りたいと思っています。

正面玄関には、今までの我が家のチョコに代わり、飾りたくないがイノシシの写真を飾った。東電の原発事故以来、イノシシの被害は相当なもので手に負えない状況にあるからだ。

今年も、例年のように同級生の大沼君と地元のお不動さんに元朝参りをして、お互いに本年の健康を確かめあった。

 

 

“目に見えぬ 神や仏であるけれど 心静かに 両の手合わす”

2019年2月28日

明日から3月‥早いものだ。正月と2月は何だかんだとあっという間に過ぎ去ってしまった。正月4日は町の新年会のそば出し。10日は地区公民館の新年会、将来について盃をくみ交わしながら語り合った。19日は村田町商工会会長として、また県連合会の役員として、永年の功績が認められた増田敏昭氏の旭日単光章受章祝賀会に理事の一人として出席。2月3日節分の豆まきは古くからの言い伝え通り“鬼も内”という当地区の伝統行事。テレビ局の取材もあって民話の里は賑わった。10日と11日は都合で臨時の休業。17日は地区契約講の総会にお呼ばれを受け、地区民総意の祝杯をあげてもらう事となった。というのも自分もまた身にあまる賞を受けたのを記念しての事。松竹梅の盆栽を前にして集合写真撮影ののち、謝意をこめての返杯は最後のほうになると足元がふらついていたのだけはしっかりと覚えていた。この日は自分にとっては記念すべき一日となった。

 

“年新た 我も重ねてななつとく(79歳) 盆栽前に祝意を受ける”

2019年3月24日

今日は地域にあるお不動様の春祭り。朝6時半の花火二発と同時に、西の空から白いものが吹き荒れ一寸先も見えない程の大荒れとなった。先日の暖かさから一転してこの寒さ、異常とも思えるこの天候に今年の夏はどうなるのだろうか? 特に蕎麦の播種時期や収穫時期 秋の天候が思いやられる。

21日から季節数量限定の寒晒し蕎麦の提供を始めたが、その違いを感じて食べて下さるお客さんとの会話に嬉しさをおぼえた。春先の寒晒し蕎麦、秋の新蕎麦と季節毎にその味わいを楽しむ事ができるのは蕎麦をおいて他にあるだろうか。夏に寒晒し蕎麦はあり得ないし、年を越してから新蕎麦とは言えない。その季節によって季節のものを食べることに本物の美味しさがあるのかもしれない

 

  “古来より 里に育むそばの実は 香りと味を 今に残せる”

 

2019年4月7日

平成の時代もあと2週間余り、多くの出来事や思い出を残して新しい年号 になろうとしている。自分が30年間の民生委員として任期を全うしえた事と、平成の時代が偶然にも重なった事もあり、一生忘れられない年号となるであろう。昨年秋には身に余る賞をいただいたが、多くの方々のご指導ご教示があったことを忘れてはならないし、感謝の気持ちをもってこれからも過ごしていきたいと思う。

平成31年3月31日の朝は突然降り出した季節外れの大雪だったが、3並びの数字を寿ぎ新元号になる喜びを表現したのかもしれない。総理談話にあるように、新元号に込められた思いを一人一人が胸に刻み、四季麗しくなるように自然への祈りをもって、5月からは新元号での毎日の生活を営みたい。

 

この令和のハガキは人生の師と仰ぐ竹内様からいただいたものです

 

 

“麗しき 日の本吾が郷 いつまでも 幸せ求め令和とともに”

2019年(令和元年)5月2日

昨日は平成から改元になって令和、体を休めながら午前中はテレビ三昧、午後から粉ひき粉合わせを行い残るGWに備えた。今年の寒晒し蕎麦は今回の25キロ一袋で終了。これがなくなれば又普通の蕎麦となる。毎度のこととはいえ蕎麦製粉の時も、そして粉合わせの時も、なんともいえぬ甘さのある香りが、そのまま食べに来てくださるお客さん方にもわかってもらえるのかなと思うとうれしくなる。

先月4月20日、今年も大青工業さんの花見に招待を受け、たまゆら蕎麦組合村田町の薄木蕎麦生産組合の方々と参加した。周囲一面桜の花が今を盛りと山いっぱいに咲き乱れ、関係する多くの方々と花見酒を楽しんだ。隣の席の方と話が弾み会話したら、秋保の里でニンニクを栽培し黒にんにくの加工をされている方でした。意気投合して記念の1枚、最後は社長さんや関係者一同での集合写真でまた来年の花見を約束して解散した。

 

 

 

“蕎麦の花 桜と人を結び付け ともに酌みかうお酒のうまさ”

2019年(令和元年)6月3日

先日、お寺を巡る旅行会に参加した。

最初に先の3.11の大津波で一人奇蹟的に生き残った若い住職さんから当時の様子を伺った。

亡くなられた数多くの檀家さんの葬儀を終えて、津波で流されて亡くなったご両親と奥さんを送ったのは1ヶ月以上も過ぎてからだったという。信徒さんをはじめ多くの方々の励ましと協力を頂いて高台に本堂を再建し、流されたと諦めていた梵鐘も泥の下から見つかったという。これも仏様のお導きなのかもしれないと思った。胸の詰まる思いでお話を聞き、あの3.11を思い出しながら心静かに手をあわせた。

「一本の長い棒と短い棒が支えあって人の字となるように、お互いに支え合って人は生きていく」

住職さんのお話を胸に刻みながらお寺を後にした。

今回参拝したどのお寺も山門も見事な建造物であった。重機など無かった時代にどのようにして建てたのであろうか。信心による人と人との支え合い、協力によっての建造物が今に残り、見る人を感動させているのだろう。そう思うと人間の信心の深さをしみじみと味わって帰ってきたしだい。

 

  “信心は 目には見えぬがその力 今に残せる大きなお寺”

 

 

 

 

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