主のひとり言V

 

ひとり言其の十七

 

ひとり言其の十八

 

ひとり言其の十九

 

ひとり言其のニ十

 

ひとり言其のニ十一

 

ひとり言其の二十ニ

 

ひとり言其のニ十三

ひとり言其の二十四

2022年(令和4年)9月20日

 

薬は白湯か水で

暑さが厳しかった7月1日朝の散水作業中、伸び切ったホースを右手で力一杯手元に引き寄せた瞬間、激痛が走り思わず右肩を押えて屈みこんでしまった。以前から右肩の痛みを我慢しながら蕎麦打ちや作業してきたが、これで終わった、と思った瞬間だった。暫く近くの整骨院で手当てをしてもらったが良くなる感じがしない。我慢できず「最も早く治る方法はないでしょうか?」と整骨院の先生に相談したら中核病院の整形外科、金沢先生を紹介していただいた。さっそく中核病院を訪れてMRI検査をしてもらったら腱板断裂と診断され、手術が最良の方法と言われた。家内はじめ周囲の人達は手術への心配があったようだが、思い切って手術をお願いすることにした。

当初8月19日手術の予定が1週間ほど前に病院から連絡が入り、コロナの影響で9月10日に延期となった。既に1ヶ月以上も経っていたので、車の運転やトラクターにも自由に乗れるようになっており、手術を止めこのまま蕎麦屋を始めようかとも思い始め自分でも悶々の毎日だった。ある日の夕方、駐在所に戸崎さんを訪ねた。執務の最中であったが手を休めて30分ほど私の話に耳を傾けてくれた。戸崎さんからは次のような言葉を頂いた。今までの我慢は今後に結びつくから思い切って手術を受けたほうがいい。多くのお客さんに喜ばれる蕎麦を提供するための今は休養期間です。そう語ってくれた戸崎さんの言葉には重みがあった。

9月9日に手術をうけ翌日から出される食事と薬。ある日の朝お茶が少し余っていたので、水を汲みに行くのも面倒だったのでお茶で薬を飲んだ。しばらくして腹の調子がおかしいなと思ってトイレに行った。入院生活で胃腸の働きも弱まったのか、と気にもとめなかった。お昼にもまたお茶と一緒に薬を飲んだら、朝と同じような結果になった。薬を飲むときは水か白湯で、と注意書きには必ず書いてあったものを破ってお茶で飲んだ結果だったのかと思い夜は水で飲んだ、そしたらその夜は何事もなく過ごした。やはり、薬はお茶でなく水か白湯で飲むものだと改めてつくづく思った次第。

1週間は早いもので9月14日に退院し、孫に連絡してまた周囲の風景やひとり言を始めた。周囲の風景は、右手がまだ思うように動かないので孫に頼んで4枚とも撮ってもらった。ひとり事は不自由な手で文章をなんとか仕上げた。そして孫と一緒に蕎麦畑に行って、自分が丹精込めて作った蕎麦畑の風景を写真に収めてもらった。              

 

“借り受けし 耕地の改良かさねきて 見事に育ちし たまゆらの蕎麦”

2022年(令和4年)10月23日 

 

予感と霊感

11月1日営業再開と決めたら何かと気忙しい日となった。 

先日商工会などに立寄った帰り、近くの公衆トイレで小用を済ませて出ようとしたらなんとした事か鍵が開かない。右手は力入らないので左手でありったけの力であけようとしたがびくともしない。困ったな どうすれば出られるのだろう‥心を落ち着つかせて考えた。ああそうだ‥今日は中学生の孫の送迎が無いから必要ない、と一旦机においた携帯電話を何気なく持参していたことを思い出した。さっそく商工会の伊藤さんに電話をして駆けつけてもらい、あらゆる手を尽くしてもらったが鍵はびくともしない。そこで今度は役場の担当課の方に電話をし、合鍵を持ってきてもらいやっと外の空気を吸うことが出来た。その閉じ込められた時間約1時間30分。この日必要ないと思いながら何気なしに持っていた携帯電話があったから出る事ができた。この何気なく手にしたということが予感というのかも知れないと思った。

 振りかえって肩の手術で入院した朝、娘の車に乗せられた時にふと思い出しのは、昔肥育牛を何頭か飼育していた時のこと。ブラシをかけ世話した牛を家畜商に引き渡す時、なかなか車に乗ろうとせず、大きな目からたらたらと流す涙を思い出した。あの牛の涙は自分の行く先を予感しての悲しい涙にあったに違いない。そんな事を思い出したのも、自分も初めての手術に不安があったのかもしれない。しかし結果は良好、なんとか11月1日の再開ができるようになったのも、中核病院の金澤先生のおかげと思っている。

予感に対して今大きな話題となっている霊感商法とやらは、人間の弱みにつけこみ多額の商品を売りつける、純粋な宗教とは言えないと思う。今の自分は先祖の霊や神に対して、信仰してこれからの余生を送るつもりでいる。人と人との義理人情を大事にしながら目には見えない神仏を信ずるのが、霊感というのかもしれない。

とりあえず、4ヶ月休業したことをお客様にお詫びしながら、11月1日から再開しますのでよろしくお願いします。

               

“休んだな 120日もはやすぎて 赤蕎麦とチョコと2人で待ってます”

2022年(令和4年)11月23日 

 

再開への想い

肩を痛めて4ヶ月休業し今月1日から営業を再開した。「よかったですね、待ってたんですよ。無理しないで大事にしてね。ここにそばを食べに来るのが楽しみなんですから。」とのお客様からのお声がけ頂くと、何かしら胸が熱くなり、嬉しさと感謝の念を持って挨拶を交わす日々が続いた。

再開して2週間が過ぎた頃、体全体に疲れを感ずることもあったが、自然と蕎麦打ちに慣れる体が嬉しかった。再開初日麺打ち台に練り玉を載せた時、あれどうするんだっけ?一瞬考え込んだ。だがそのうち勝手に手が動き包丁を掴んでいたのは蕎麦打ちが体に染み込んでいる証拠なのかと思った。

振り返って7日(月)の定休日、家内と共に町の老人福祉の家で地域の皆さんと、ゆうゆう元気クラブで楽しんだ。村田駐在所・戸崎所長さんの交通安全、特殊詐欺に対する心構えなどのお話に耳を傾けた後、戸崎所長さんを囲んで記念撮影。その後は楽しいお弁当、そして皆さんとの久しぶりの語らいとなった。

また流行し始めた新型コロナに対して、自分の為だけでなく来店されるお客様の為に予防接種を済ませ、我が身をいたわりながら早くも今日23日勤労感謝の日となった。庭の木の葉をかき集め、白地に赤の日の丸を掲げての祝日に、清純な気持ちでお客様の来店を待った。肩を痛める前は休みのことなど考えたこともなかったが、今月から定休日も毎週月・火、第3週は日・月・火の3連休としたのは細く長く続けようと思ったからである。多くのお客様の温かい励まし、我が人生の師と仰ぐ竹内様からいただいた心温まる三行詩の数々、これらを胸に刻みこれからの蕎麦打ち人生に精進しようと覚悟した次第。

 

 

“この胸に 熱く刻まる声がけは 我が身いたわる 優しき心”

2023(令和5年)1月22日 

 

新年にあたり

明けましておめでとうございます。遅ればせながら新年のご挨拶を申し上げますとともに、昨年中は色々とご厚情を賜り、また多大なるご迷惑をおかけしましたことをあわせてお詫び申しあげます。

昨年、自分の不注意による4ヶ月の休業と自分自身の年齢も考え、定休日を毎週月火、そして第3日曜日と月火の3連休としました。これらのことを踏まえて、今年は兎ではなく亀さんのようにゆったりゆっくりと、息ながく蕎麦打ちに精進したい‥これが私の念頭の感想です。

昨年末に若い二人連れの方が来店、玄関上に掲げてある虎の写真を見て「阪神タイガースのファンなんですか?私達も大ファンなんです」と話しかけられた。どうやら若い二人には十二支の干支の事が解しかねる様子。年寄りと若い二人にはこのような事にも世代間の認識の違いがあるのかと感じた次第。いつも玄関上に掲げる干支の写真は、仙台の星さんが持参してくださっている。今年の干支、兎の写真と一緒に辰年の写真もあったので、これは?とたずねてみると「来年は辰年なので早めではあるが来年も元気で蕎麦を打ってほしい‥との願いを込めて辰の写真を持ってきました」との星さんの言葉にありがたく頂戴し玄関の上に飾った。来店いただいた時に玄関を見上げれば兎さんの写真があるのでぜひ御覧ください。

だいぶ日数が経ちましたが、元旦にはお不動様にお参りをし、とうとうと流れ落ちる滝の中の不動明王様に今年の無事安泰を祈願して、幸せな気分で新年を迎えた次第。

 

“戦の年 善の世になれと 初詣 心ひとつに世界の人が”

2023(令和5年)2月23日 

 

無理はだめだっちゃ

昨日蕎麦を切り終えて1週間に1度のリハビリにでかけた時のことである。いつものY字交差点前方に若い人の乗用車が停まっていた。先に進むものと思っていたが、こちらを見て右手を振って進め進めと合図をしているではないか。ちょっと戸惑ったが相手の目をみつめ挙手をして通り過ぎた。白髪頭とフロント前面のシルバーマークを見て敬老精神の表れなのかと、感謝の念と嬉しい気持ちで病院に向かった。

昨年9月に肩の手術、その後のリハビリを経て11月から営業を再開した。順調に進んだ回復につい安心してしまい、引き受けないと覚悟した年越し蕎麦もいつしか相当な量になった。そして正月4日に先立ち、初練りの想いをこめて力を入れたその瞬間また右肩に激痛が走った。「まあ明日はなんとかなるだろう」と軽く考えて頑張ったもののどうにもならず、6日にまた手術担当の金沢先生の診察を受けた。「だいぶ無理をしたな。でも心配することないよ。リハビリを根気よくすれば良くなるが今回は長くなるよ」との言葉にしたがって、毎週水曜日はリハビリの日となった。今思えばあの時の力作業が一番悪かったのだ、と後悔しながらの蕎麦打ちとリハビリなのである。リハビリから帰るとすぐ着替え、乾燥のため広げてある玄蕎麦の上面と下面が反対になるように手でかき回す作業を行なう。これによって冷水に晒した玄蕎麦の状態がよくわかり、乾燥もまた進むというものだ。手で触れたり触ったりすることで、玄蕎麦の今の状態をしっかりと自分のものとして受け取ることができるから不思議なものだ。

不思議といえば、例年であれば木の枝が折れんばかりに大勢のスズメが蕎麦を狙っているのだが、今年は一度もそのスズメを見たことがない。また日本の海岸にイワシやサバの大群が打ち上げられたり、クジラが迷い込んだりと、なにか自然界に不思議な現象が起こっているのではないかと思う。

時折吹く風は冷たく頬に刺さるが、その風は晒した玄蕎麦の乾燥には実にありがたいと思うこのごろである

 

 

“春立つも 吹く風頬に刺さりしが 蕎麦には優しく 進みし乾燥”

2023(令和5年)3月26日 

 

孫と孫

先日、松崎前十郎先生のお孫さんという方がお友達3人と来店された。私には初めてお会いする方だったが、色々とお話を交わすうちに50年以上昔にタイムスリップした。「うちの爺さんはまっつぁざじしんし」と、とても尊敬する口調で話していたのを思い出す。明治14年生まれの祖父が言うには、日本に学制が敷かれたのは明治6年だったとか。その当時ここ姥ケ懐には、教育の場が設置されていたのだったろうか?

やがてここにも明治17年教育の場が設置された。松崎先生が初めて来られた時、爺さんたちは漢文を始め色々と勉強を教えてもらったという。その爺さんが大福長といって、その当時のいろいろな出来事をメモしたものが今私の手元にある。3日3晩の山火事とか、土地をめぐるいざこざや、地域の決まりなどを和紙、筆字にて書き残されている。そんな事を思い出しながら、松崎先生の頌徳碑の前で孫と孫が、写真に収まってお互いに懐かしい思い出に花を咲かせた次第。

 

 

“先生の夜学に学びし 爺さんが 紙にとどめし地域の昔”

2023(令和5年)4月22日 

 

馬子にも衣装

常日頃は作業しやすい服装ではあるが、時折出かける時にはスーツと革靴を履く時もある。そんな時はどうしたわけか背筋がシャンとなり、歩く姿も少しはカッコ良い姿になるから不思議なものだ。これが「馬子にも衣装」というのかなと思ったりもする。だいぶ昔、友人の結婚式に呼ばれた時の話である。綺麗な花嫁姿を前にして、祝辞を述べる友人の中に「馬子にも衣装云々」と述べたのには思わず首をかしげたことを思い出した。

ある日の朝、わが家を垣間見るように自宅前の道路をノロノロ走る車があった。気になって眺めていたら今度は店の前に車を停め、大柄な男性と女性が自宅に向かってきた。何用なのかと立っていたら「誰々ですか?」と聞いてきた。「ここは違います」と自分の名を名乗ると、誰それさんはどこですか?と聞くので指差し道順を教えた。

しかし挨拶をすることも無く威圧的な態度に、思わずじっと胸元の名札を見たら宮城県の誰それとの名前があった。年齢からするとかなりの上級職らしく思われ、宮城県という衣装のもとに我々を睥睨するような態度だったのかと後ろ姿を眺めながら思った。

衣装といえばもう一つ忘れられない思い出がある。民話の里時代、蕎麦研修の一環で岩手県葛巻町にある「森の蕎麦屋」を訪れた時の事。串刺しの岩魚が並んだ囲炉裏のある店内で、おばあさんが普段着のまま一生懸命蕎麦を打つ姿に見惚れてしまった。1枚撮ってもいいですか?と声をかけたら気持ちのいい声で「あぁ、いいよ」と快諾頂いて撮ったのがこの一枚である。蕎麦ブームの今、蕎麦打ち何段とか綺麗なユニフォーム姿が流行っているが、昔は村の救荒食といわれたものである。普段着の温泉ではないが、このお婆さんの一生懸命な姿こそが本当の蕎麦打ち職人のような気がする。気持ちを込めて打っているお婆さんの蕎麦の美味しさに、感動したことは今でもはっきり覚えている。

あのお婆さんは今どうしているだろう‥と思い出しながら「馬子にも衣装」という出来事を綴ってみた。

 

 

“着飾らずに 麺棒たぐるその姿 蕎麦屋の原点 ここぞにみたり”

2023(令和5年)9月4日 

 

そばの花を咲かせたい

昨日は朝から蒸し暑かった。天気予報では4日から雨や曇り空が続くという。これは急がないといけないと思い、蕎麦を早めに切り終えてトラクターに乗った。大面積の畑に蕎麦の花を咲かせたい‥と借り受けた五反分の畑。耕作放棄されて5年ほど経ったのだろうか?草ぼうぼうのなかをトラクターで耕耘すること3度、炎天下の作業であったがやっと畑らしくなってきた。当初定休日の4日にやるつもりであったが、3日午後からの作業で施肥播種するばかりとなった。

20キロの肥料を背にして畑の中を何回歩いただろうか。汗びっしょり、脚はクタクタとなりながら全ての作業が終了したのは夜7時ごろ。最後は星空を眺めながらトラクターの灯りでの作業であったがちっとも苦にならなかったのは、この荒れた畑に蕎麦の花を咲かせたいという想いだけだった。

家に帰るとばあさんが「こんな遅くまで何やってたの?」との声を聞きながらビールを一杯、そしてもう一杯ワンカップを飲んで床についた。明けて今朝は本降りの雨、昨日のうちに作業をやっておいてよかった‥降る雨を眺めながらのひとり言となった次第。

思えば昨年夏に肩を痛めて半年ほど店を休業にした。みやぎ県南中核病院での手術、そしてリハビリの日々を経て先月末に最後の診察を受けた。「もう大丈夫、すっかり良くなっている」という主治医からの一言。この時の嬉しさを忘れずに来店するお客様に精一杯のおもてなしをしていきたいと思う。

 

  “肩のけが 手術リハビリ 重ねきて もとにいや増す 心と体”

2023(令和5年)10月26日 

 

83歳のつぶやき

先月9月17日、地区公民館主催による敬老会に案内をうけ参加した。案内状には迎えに行くので自宅で待っていてほしいとの添え書きがあった。きっと83歳という年齢を案じたのか‥それとも酒席での祝い酒もあるからなのか‥そんなことを思いながらお迎えの車に乗った。

振り返ってみれば30歳前後の頃は、我々青年部が敬老会を主催して、花笠踊りやオシドリ道中などの余興の練習に毎晩精をだし、前日には舞台づくりや余興の総仕上げに夜遅くまでみんなで汗を流したものだ。それが今はこうして敬老会に案内されるようになったのだから世の中は順送りなのだと改めて思った次第。

今年の敬老会の余興はいまどきの人らしく、南米調の衣装に軽快なラテンマンボ調の音楽を演奏してくれた。聴いているうちに思わず左手に盃を持ったまま、右手に持った割り箸で机の端を叩いて調子を合わせていた。最初はグルーブ得意の曲をたっぷりと披露し、最後には皆で歌いましょう!と歌詞集を配り「あかとんぼ」や「紅葉」「ふるさと」など高齢者であれば誰でも知っている歌を大声で合唱して敬老会は終了した。参加した皆さんは“面白かったね”と大満足の様子。我もまたこんなに楽しい敬老会は初めてで身も心も若返った気持ちになった。

 話は変わって前回のひとり言では、大面積に蕎麦の花を咲かせたい‥その一心で夜遅くまでの播種作業の結果、咲かせることはできたがまだ満足できる状態ではなかった。よく言う“百姓の来年”で頑張ってしまうのが持って生まれた性分なので、定休日であろうとなかろうと寸暇を惜しんでこまごまと動いてしまう。見かねた家内から“蕎麦だけきっちり作ってくれればいいから、その他余計なことはしないで体を休めてほしい、そうでないと定休日であっても休んだ気がしない”とよく言われるが仕方のないことだと思っている。

それにしても今年の猛暑にはさすがに参った。定期的にかかりつけのお医者さん、そして町の健診は欠かさず受診しているが、受診票に83歳と表示されているのをみると、家族や周囲から心配や注意されるのは当然のことだと実感する。

村田町駐在所に10年以上勤務している戸崎さんがよく話されている“常に注意を怠らず安全運転”という言葉を自分の体に当てはめて毎日の行動を律しているのである。

 

“その昔 会を催し我は今 お呼ばれ受ける地区の敬老会”

2024(令和6年)1月10日 

 

営業開始の日

遅ればせながら新年の挨拶と言いたいところですが、元日早々の能登半島地震被災者の方々へ心からのお見舞い申し上げます。30年以上も前になりますが団体研修旅行で能登半島を一周したことがあり、風光明媚、観光名所の地名がニュースで流れるたびに胸が締め付けられる想いでした。

前置きが長くなりましたが昨年は異常に暑かった。蒸し風呂のような蒸し暑い夜が続き、記録しなければならないことも大雑把になり、細かい作業も持ち越しとなってしまった。そのこともあり長い冬休みを取ったにも関わらず、細かい作業に集中するという正月らしからぬ日々であった。

さて話は変わって昨年10月、仙台の富樫さんから「ロミオとジュリエット」の入場券を手配して頂いた。一度は観てみたいという一心で会場まで孫に送ってもらった。グッズ売場の前には公演前も公演終了後も若い女性たちの長い行列ができていた。聞いてみるとジュリエット演じる男性俳優がお目当てだと、孫が得意げに話して聞かせてくれたことも頷けた。息もつかせぬ展開と迫力ある演劇の余韻を味わいながら帰路についた。

その余韻を残したまま、区内のお年寄りを我が家に招いて蕎麦会食を催した。その席で村田駐在所の戸崎所長さんに講話をお願いした。身振り手振りを交えての2時間近くの講話は、長年の経験から聞く人を飽きさせない話術であった。さすがに戸崎さんは疲れた様子であったが“良い正月をお迎えください”とのあいさつで無事終了となった。その後の懇談でも多くの質問にも丁寧に対応して頂き、最後に戸崎さんを囲んでの記念写真で和やかな蕎麦会食を終了した。

 

        “特殊詐欺 あっちゃだめよと講話する おらほの町は戸崎の所長さん”

 

 

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