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2006年1月15日

 

今では伝統的な正月行事も無くなりつつあるが、どんと祭などは一つの観光イベントとして生まれ変わっている。

我が家では13日に餅をつき、みずの木やボクの木に団子を刺し、正月にお供えした餅を全部さげ、14日の夕方に新しく餅を供える。そして14日の夜中午前零時をすぎた時、門松を燃やし、あかつき粥をつくり神棚にお供えする。残った門松と、若水を汲む柄杓に巻きつけてあった松の葉、昆布、鰹節を、あかつき粥を供えた時に灯したお燈明で照らしながら、正月の御幣束を姥神様の祭られているカヤの大木の根元に納めて、正月を送る。ここの千咾不動尊でも、20年位前から14日の夕方にどんと祭を催しており、各家庭からお参りをかねて持ち寄られた正月の松飾りや古くなったお札などを焚き上げるようになった。火の粉となって冬空に舞い上がるのは何か神秘的なものを感じる。今年は全国的に雨のどんと祭となったが、小寒5日から数えて9日目に降る雨は、寒九の雨といって大いに喜び、「今年は作がいいぞ」と語っていた爺さんを思いだす。

 

2006年2月7日

 

今年の冬は例年にない厳しい寒さと大雪。如何にストーブの火をどんどん燃やして店を暖めても、客足の少なさに落ち込む日が多かった。どんよりとした雪空を仰いでは大きなため息をつく。冴えない想いで家の周囲を見回っていると、雪の重みで今にも折れんばかりに青竹がしなっていた。思わず手にした竹ぼうきで雪を払ってやろうと思ったが、この哀れな姿に振り上げた竹ぼうきをおろし一歩下がってしばし考えた。この竹でさえ雪の重みに耐え忍び、いつかは跳ね上がるその時をジッと待っているのではないか。いつもなら空に向かって少しの風を受けても、サラサラと笹音を鳴らしながら気持よさそうに揺れ動く青竹も、いまは重い雪にジッと耐え忍んでいる。このひたむきともいえる青竹の姿に気を取り直し、先月の大寒中に後ろの冷たい川の流れに浸した玄そばの引き上げ作業にかかった。この寒い冬も耐え忍べばまもなく春が訪れる。寒の水に晒したそばの実を乾燥製粉し「今年も寒晒しそばを多くの方々に提供したい」。そんな想いに冷たい水にかじかんだ手もいつしか夢中になった一時であった。3月21日から26日までの6日間、今年も「寒晒しそば祭り」を催しますので、是非とも多くの方々に、私の丹精こめた「寒晒しそば」を味わって戴きたいと思っております。

 

2006年3月5日

 

ここ「たまゆらの郷」にも巡り来る春の息吹は確実にやってきた。春耕一番、トラクターはエンジン音も高らかに耕耘に向かった。福寿草やふきのとうを見ると、何かしら自分の気持も萌えたってくる。今年の冬は近年にない大雪そして厳しい寒さ。その所為か来客数も少なかったが、お客様との会話の中から学ぶべき多くのものを得る事ができた冬でもあった。食べ終えたあとにいつも色々とアドバイスして下さるAさんの帰り際「今日の十割とても甘くおいしかったよ」の一言がどんな励みになったことか。

又、「もっとそばの香りと甘みをだすには?」と製粉の仕方に悶々としていた2月も末のある日。ふらっと来店したお客さん「このような粉で打ったらもっとお客さんに喜んでもらえるよ」と持参した粉を私に見せた。指で掴むとキュッキュッと音がする。「ああこれは私にはできないよ」と言ったら「そばは繋がるものだと思ってやらなきゃ」と言って、持参の粉で一通りを目の前で見せてもらった。大きく肩の力を抜いて一呼吸のあと「有難うございました」。感激のあまりこの一言しか言えなかった。翌朝、鶏が鳴くより早く起床。やかんに湯を沸かし、そばは繋がるものなのだと思いを込めて一心にやったら何と繋がった。いままで更科系の粉は、本やビデオ又は人の話をもとに色々とやってはみたが繋がらず、まさしく百聞は一見に如かずだと思った。次の朝もやってみたら繋がった。諸々の思いを込めて黒味がかった十割そば、挽きぐるみの粉に外一の割りで打った外一そば、味と香りを少し遠ざけた更科系の生粉打ちそば、それぞれ三者三様の趣きがある。もし別の呼名をつけるとしたら“弁慶”“義経”“静御前”とでもつけようかなと、いつもおいでになるAさんに話したら、それも面白いでしょうと笑みを返して三者三様のそばを試食して頂いた。感想は私自身がそばに込めた思いをそのままに言い当てられたことに対しても嬉しさが一杯だった。写真上から、十割、外一、更科、ご希望に応じてお出ししますので、それぞれの違いを噛みしめながら、たまゆらのそばを味わってほしいと思います。

2006年4月15日

 

毎日何と時間の過ぎることのはやいことか、今日はもう4月も半ばとなった。先月の21日からの「寒晒しそば祭り」には多くの方々においでをいただき、色々と御指導やら励ましをいただき感謝しております。今年は例年になく寒さが厳しかった結果が、歴然とそばに表れたのだと思う。祭りを始める前に、自称そば通の友人を呼んで試食をしてもらったが、「やっぱりちがう、もう一杯食うか」との一言。お祭り当日来店のお客様も、甘みと香りを感じての感想を残して帰られたようだった。

このあたりの方言で、川で転んだり、足を滑らせて濡れることを『かぶだれ』すると言うが、その『かぶだれ』を東日本放送の岩田アナが取材に来てくれた。かぶだれ・ずいら・おどげでね・しっしょ等、昔子供の頃なにげなく使った言葉が、若い岩田アナによって掘り起こされた事に対し、何か嬉しさと懐かしさがこみ上げた。

先日、日頃ご指導戴いている村田町商工会や竹川先生とともに、山形においしいそばを求めて現地研修を行った。振り返って今考えてみると「知らぬが仏」とは私自身のことだったなと思う。昔ばあさんに食べさせてもらった、あのそばの味わいだけが頭の中で活動していたからこそ、60も過ぎて、あの世へ片足を突っ込んだ年齢も忘れて、蕎麦屋を始められたのだと思う。

 

2006年6月1日

 

さわやかな初夏を感じる日が続く。5月の連休には、そばと相性のよいコシアブラと香りづけにはモミジガサ(シドケ)を来店するお客様に感謝の念をこめて一品そえて出した。6月となった今、筍とふきの炒め物がそばの添え物となっている。いずれも田んぼの見回りとか、近くの野山からその季節に応じて採ってきたものである。もちろん親から受け継いだ田畑から毎朝とる野菜も大事な添え物の供給源となっている。またちょっとめずらしい“そば寒天”を添え物として味わってもらっている。おそらくこの近辺だけでなく山形でも味わえない添え物で、是非一度味わっていただきたいものです。話は戻るが、このあたりでも田畑の荒廃は激しく、これからさき山間地の農業はどうなるのか心配である。これではいけないと地元有志が立ち上がり、耕作可能な畑に蕎麦を栽培し、農地の荒廃を防ぎながら地域おこしに取り組んでいる。この地を「たまゆらの里」と名づけ、たまゆらの蕎麦を名産にしようと取り組んでいる。“たまゆら”この言葉のもつ響き、なんとなく春雨けむり散りゆく紅葉を思い浮かべながら、しっとりとした日本的な情緒感にひたれるのではないか。日本語にはそばと同じように素晴らしく奥行きがある。

2006年6月23日

 

4日前の19日、地区のミニディーサービス事業の一環として、健康長寿を願っての仙台市青葉区は山懐深く入った平真能公ゆかりの定義山へ参拝した。65歳以上の元気老人約30名が参加、各人各様の願いを込めて手をあわせたのだと思う。身も心も軽やかになった23日の午後、来店された年配夫婦の奥さんが、私の手にしたカヤの実を見て珍しげに話しかけてくれた。話がはずみ「よかったらどうぞ」と、一掴みのカヤの実を差し上げたら、その奥さんは車の中から、いまどきめずらしいイナゴ一パックを差し出し「どうぞ」と言う。大いに遠慮したが結局ありがたく頂くことになった。後日カヤの実をつぶして食べようとしたら完全なものが少なく、イナゴを頂いた奥さんに差し上げたカヤの実はどれだけ完全なものがあっただろうかと、とても心配になった。確認もせずに差し出した自分の軽率な行動に、参拝した定義如来とあの奥さん申し訳ない気持が一杯となり、戒めの鑑として残りノカヤの実はいつまでも大切に残しておこうと思った。それがあの奥さんにたいして少しでものお詫びにつながると信じて。

2006年7月7日

 

今日は暦の上では七夕様。早いもので1年の半分は過ぎてしまった。遅い昼食を済ませ色々あった先月の事を振り返ってみた。その中で6月11日からの3日間の視察旅行について思いだしてみた。私の所属する団体での旅行であったが、黒部や能登半島、そして金沢市内の福祉施設の視察。3日間のハードな日程だったが、自然の偉大さと昔の人々の知恵に感動する旅でもあった。黒部のトロッコ列車から眺めた、まるで中国の山水雲を思わせる風景。そして峡谷を縫うように走る列車とダム建設を支えた土木技術。朝2時に起きて準備をして出かけたため途中までは夢うつつの状態だったが、この風景と先人たちの偉大さにさすがに身も引締まる思いであった。2日目、今回の旅行のメインである金沢市内の「福祉用具情報プラザ」視察。各人の身体機能に応じた福祉用具の選び方や住宅改良の要点など、もっと時間のほしい場所であった。金沢といえば兼六園。高台にありながら大量の水を引き上げる技術、園内の巨石や樹木。今のような機械や道具のない時代、どのようにして造りあげたものか、日本人のすばらしさや動員された人々の汗と涙の結晶を想うと、横たわる石や樹木に胸の中で手を合わせたものだ。そして最終日。輪島の朝市で出会った元気なお婆ちゃん。そもそも朝市は、地元のお婆ちゃんたちがその日に採れた野菜や海産物を持ち寄ったのが最初だと思うが、今は観光物産や大手の海産物問屋がメインとなり、お婆ちゃん達は寂しそうに片隅に追いやられていた。そのお婆ちゃんたちの出店の中から、私が探していた品物を広げていた80は過ぎたと思われる一人のお婆ちゃんと目が合った。私が探していたのは「あすなろ」の苗木であったが、話がはずんで苗木以外にも余分なものを買ってしまった。お婆ちゃんの元気さにうれしさといつまでも健康が続くように祈りながら帰りのバスに乗った。輪島のお婆ちゃんと、今は床に伏せったままの母の症状が少しでも良くなるようにとの願いを込め、帰宅してすぐ苗木を植えつけたのは言うまでもない。

 

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