主のひとり言T

 

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ひとり言其の七

 

ひとり言其の八

2006年12月11日

 

我が母校の村田高校で毎年暮れに実施しているそば打ちボランティア。

先日、その生徒さんたちのそば打ち練習会を見に行った。村高では、1995年から毎年各地の老人施設へのそば打ちボランティアを実施しており、今年で10年目を迎える。その活動が評価され表彰されたという。今から45年も前に、自分たちが学んだあのオンボロの木造校舎から今の村高をつなげるものは何だろうかと考えた。時代の流れを早々と感じとった町や、PTAなどの関係者の汗と涙の努力の結晶が、今に実ったのだと思うと尚一層我が母校に対する愛着がわいてくる。

゛灯ともる窓に書を読む.勤労我等意気高し…”この校歌の頃は県立高校ではなく村田町立の高校であり定時制であった。自分は夜間部に在籍し卒業する迄一年の中休みをしたから5年をかけて卒業証書を手にしたのである。どんなことを学んだのかは今となっては定かではないが一番から三番迄一字一句間違えることなく校歌を今でも唄えるし時折ハーモニカを吹き鳴らしあの頃の懐かしい思い出に浸ることがあるのだ。

 

2006年12月23日

 

冬至の日の南瓜汁。

季節の移ろいに関わる昔からの行事を味わってもらうべく、来店されたお客様の御膳に添えたし、23日と24日の「たまゆら郷歳の市」では、そば組合員心づくしの、つきたての餅がお客様に提供された。ちなみに2日間で2俵(120k)のもち米を臼でついた。組合員とお客様との合の手でついた餅だからこそ美味しかったのだと思う。今、コンビニとか郊外にある大手スーパーには、見た目に美味しそう、そして家庭で調理を必要とせずとも食べられるものがたくさんある。が、その中にあってもやはり人間心の奥底にはおふくろの味を求める気持ちが強くあるからこそ、お客様の目の前でのもちつきが喜ばれる所以がここにあるのだと思う。

 

2006年12月30日

 

いろんな出来事があった平成18年。

12月26日から27日朝方にかけて、全国的に風が吹きまくり雨を降らせた師走の低気圧。各地に大きなつめあとを残して今回も過ぎ去った。うしろを流れている川の水も近頃にない程増水していた。嫌な思いではこの川に流し、いい思い出だけを心にとめおきたいと思う。さらに来るべき来年は、この老体を支えて下さる多くのお客様との、そばの輪を尚一層広げていきたい。

歳は66でも、気持ちはうら若き少年のつもりで、そば作りに励みたい。渦巻く川の流れを眺めながらそんな事を強く思った。

 平成18年、千寿庵においでになった多くのお客様に感謝と御礼を申し上げ、来年も引き続き御指導と御鞭撻をお願い申し上げまして、今年度の締めくくりとさせて戴きます。  

 

2007年1月1日

 

今年も近くのお不動様に元朝参り。お払いと御祈祷を済ますと、座敷で参拝者一同が今年一年の無病息災を願ってごちそうを頂く。すると突然うしろから「千治さん私を覚えていますか?」と、声をかけられたが思い出せない。「そば打ちボランティアでお世話になった村高の生徒です。」と名乗った若い娘さん。その顔を見つめているうちに、やっと思い出し「ああ、あの時の」「そうです。あの時は、お世話になりました。」たったこれだけの短い会話だったが、新年早々この年寄り、とてもうれしかった。先月末に町内の老人施設へそば打ちボランティアをした村高生の一人であり、入所者と共に喜びと生き甲斐を分かち合った母校の生徒さん。改めてそばを通して多くの人との交流の輪が広がるうれしさを実感した平成19年の元旦だった。

“若声で 呼びかけられし顔みれば そば打ち教えし 母校の生徒”

 

2007年1月8日

 

新年早々、またも爆弾低気圧が6日7日と各地に爪跡を残して過ぎ去った。本来なら雪であるはずなのに、横なぐりの雨といぎね(家囲根)が折れるのではないかと思う程の強風が吹きまくり自然の恐ろしさを体感した。しかしそんな天気のさなか、うれしかった事と感動した事と二つの出来事を味わった。

一つ目は、6日7日連続して来店したお客さん。このあたりでは、あまり見かけないボルボという車で来店。東京在住で遠刈田温泉に正月休みの途中立ち寄ったとのこと。話す言葉がきれいで、この年寄りにも礼儀正しくお話の相手をしてもらって申し訳ない気持ちだった。こちらは,むさ苦しい田舎者がタオルの鉢巻と前掛けに腕まくり姿。余りにも失礼したのではないかと、そんな思いで一杯だった。しかし、7日午後帰られる時「おいしく頂きました。又、きっと立ち寄らせてもらいます。」といわれた時はとてもうれしくて、走り去る車を見送りながら道中の安全を祈った。

二つ目は、夜のテレビで報じられた今年の成人式の様子。杜の都仙台でも静かだったし、全般的に成人としての自覚をもった人が増えたと感じた。特に夕張市で行われた成人式。実行委員の話を聞いているうちに何故か涙が流れた。年をとると涙腺がゆるくなるといわれているが、ただそれだけではない何かを感じたからだと思う。人間金銭的に恵まれてばかりが幸せとは限らない。南では一部の心無い参加者の行為による無意味な成人式。北では苦しい中にあっても、皆が力を合せ意義ある思い出に残る成人式。夕張市の成人者一同に心からなる拍手を送りたい。そういえば、今朝の我が家の欅も晴れ上がった青空にきれいに雪の花を咲かせ、夕張市の新成人をお祝いしているようだった。

“恵まれて 気儘に振舞う者あれば 窮じて通ずる張(夕張)の若者”

 

2007年2月1日

 

新年早々今年で満66歳5ヶ月になる。私が記憶している限り、雪かきのない冬は初めてだ。「今こんなに暖かくて、夏はどうなるのだろうか?」との心配をよそに、なんと庭の福寿草がいつの間にか咲いていた。福寿草と言う言葉のひびき、そして花びらの黄色。ほのぼのとしたあたたかみを感じると同時に、何かしら幸せな気分にさせられるのは何故だろうか。先月20日は大寒。雪こそないものの、やはり川の水は冷たい。ほほかむりをして厳選したそばの実100kgを川に浸けた。これを3月末と5月の連休、2回に分けて“千寿庵の寒晒しそば”を皆様に提供すべく今から準備している。この冷たい水浸け作業の辛さを吹き飛ばす、うれしい出来事が息子からあった。女の子を無事出産し、名前は「ひなた」と名づけたと言う。一番寒いと言われる大寒に生まれて、つけた名前が「ひなた」と聞いて、何かしらほっと温かい気持ちになった。と同時に「これから孫を背負いながらそば打ちをするぞ!」との思いが、なぜか今まで凝りに凝っていた肩がスーッと楽になっていくような気分に。大泉さんの歌ではないが、孫のかわいさを実感したことがあった。それは先月末の日曜日の事。仙台の石田さん一家三組の御夫婦にお孫さんの7人で、そば打ち体験に来店された。主役はお孫さんであり、お孫さん達が打ったそばには「孫の手掛けそば」と皆が命名。その出来栄えは、他と比べて断然おいしかったに違いない。7人のテーブルからは、絶え間ない楽しげな笑い声が障子越しにひびいていた。自分もこんなにかわいいお孫さん相手のそば打ちは初めてだったが、一生懸命やろうとする純真な心に、精一杯の相手をしながら楽しい一時を過ごさせてもらった。あらためて石田さん一家には心から感謝を申し上げたい。先月末に、7人目の孫の誕生と石田さん一家のかわいい孫さんとの出逢いを、祝ってくれるかのように咲いていた福寿草に、思わず「ありがとうよ」と声かけながら写した早春の花一枚である。

“寒い日に 生まれしひなた 健やかに 伸びを祈りて 福寿草”

 

2007年3月6日

 

今年は暖冬で過ごしやすいというものの、戸数30戸ほどの我が集落で、先月の2月末日までに4人が亡くなり、生まれたのは我が家の孫1人のみと、何かしら侘しさが漂う。その中にあって、正月休みに赤いボルボで来店の東京の人が「又きます」の言葉通り、2月の連休に再度来店いただいたことは嬉しい限りだった。そしてもうひとつ嬉しい事といえば、今朝の地元紙に『全国ふるさとイベント大賞』に我が村田町の「蔵の陶器市」が優秀賞に選ばれた記事が掲載され、関係者の喜びは如何ばかりか目に浮かぶ。今年もたくさんの方々が来町され、我が千寿庵にも足を伸ばして蕎麦を食べて行ってほしいと願っている。そして来る、3月24日・25日の二日間 “蔵のまち家(や)の雛めぐり” が10回目を数えて今年も準備しています。詳しくは村田町歴史みらい館(0224-83-6822)迄。

時を同じくして25日は “お不動様の春祭り” も行われますので、我が家の 『寒晒し蕎麦祭り(20日〜25日迄)』 にも是非足を延ばしていただきたいと思う。

話は最初に戻すが、亡くなった4人のうち1人は、2月16日早朝に90歳の天寿をまっとうした。その人はあのガダルカナルから生還された方。その毎日の働く姿には気合がこもっており、常に前向きな姿だったからこそ感じると共に、「何モタモタやっているんだ!」との気合も今では懐かしく、悲しさをこらえ遺影に向かって面影を偲んだ。

 

“ 2の16  還りて輿せし 田と畑を ガ島の勇士 今日ぞ召さるる”

 

2007年3月31日

 

3回目を迎えた寒晒しそば祭りは、3月21日から28日まで実施し、精粉した粉を全部使い切って終了した。

この日夕方から降り出した雨は、石川県輪島地方をおそった地震の被災者の方々にも、情容赦なく降りそそいでいるのだろうと思うと心が痛む。

そしてこの日は、永らく「くりでん」の愛称で親しまれた宮城県北部栗原市にある「くりはら田園鉄道」が約90年の歴史に幕を下ろした日でもあった。

夜となり、降る雨音をききながら同じ時期に催された゛蔵の町家のひな祭り゛と゛お不動様の春祭゛…それ等を併せて考えてみた。ひな祭りを見学し、お不動様に参拝して最後に寒晒しそばを食べて帰路につく。

「村田町へ来れば楽しいことがたくさんありますよ。」と言える様、皆で考え努力せねばとの思いを忘れず頑張りたい。

1年で最も寒いと言われる大寒の時期に、蕎麦の実を冷たい川水に浸す作業、そして水ぬるむ立春に川から引き上げ、ゆっくりと時間をかけて乾燥させた『寒晒しそば』、甘みが増してまろやかな味になる。

3年目にして自分自身はっきりと体感し、又多くのお客様にもその味と思いを共有してもらった。100kgの玄そばを晒して45kg精粉、残る40kgは保冷庫に保管。5月の連休には『寒晒しそば』と季節の『よもぎそば』、かつては村田の特産品だった紅花を練り込んだ『紅花そば』の三色セットで、そば三兄弟まつりの名前でやってみたい。

最後のお客さんである黒木さんと、そんな夢を語りながら更なるアドバイスを受けた事は言う迄もない。

 

゛ほほかぶり 冷たき川に晒すそば 仕上げし粉に ただようあまみ゛

 

2007年5月7日

 

5月の連休は晴天に恵まれて多くの方々に来店していただいた。

それぞれのお客様と会話を楽しませてもらったし、お客様に日本各地を案内してもらったような嬉しさにもあふれたものだった。

今年の連休も。寒晒し蕎麦・よもぎ蕎麦・紅花蕎麦、それぞれの風味を味わっていただきたく『蕎麦三兄弟祭り』として昨年に続いて催しを行った。

寒晒し蕎麦は、厳寒の水に晒した玄そばを自然乾燥させて打ったそばであるが、閉じ込められたそばの甘みが、寒いときに食べる味とはまた違った味わいを楽しんでいただけたと思う。よもぎ蕎麦と紅花蕎麦も、色と香りを出す事においては、昨年よりうまくいったと思っている。よもぎ蕎麦は摘んできた蓬に、適量の水を加えてミキサーでドロドロの団子状態にして、そのしぼり汁で練りこむと、ほのかな蓬の香りと、おだやかな色合いに仕上がった。紅花蕎麦は、乾燥した紅花をゆっくりと時間をかけて、コトコトと煎じるように煮出した汁で練りこむと、紅花独特の薬効の香りと、ほんのりとした紅花色の蕎麦を楽しむことができる。

日本古来の食べ物は、ただ単に空腹を満たしたり、栄養士さんが血眼になってカロリー計算をするのではなく、目で楽しみ、香りを味わいながら、心身を健やかにする効果があるのではないだろうか。

色々なことを思い出しながら、そんなことを感じた今回の『蕎麦三兄弟祭り』であった。

 

 

“野に出でて 摘みし蓬の色と香を 蕎麦に打ち込み 客と語らう”

 

 

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