主のひとり言T

 

ひとり言其の壱

 

ひとり言其の弐

 

ひとり言其の参

 

ひとり言其の四

 

ひとり言其の五

 

ひとり言其の六

 

ひとり言其の七

 

ひとり言其の八

2008年10月22日

 

しばらく晴天が続き、そばの収穫作業も順調に進んでいる。

今月9日 黒木さんに案内され、福島の観光温泉地にある、昔から名代のそば屋さんに行った。平日の昼前なのにほぼ満席、次々とお客が入ってくる。“一日に何食位打つのだろう?”“一人ではとても大変だし、毎日続けられるのだろうか‥”と、他人事ながら気になり、そして思わず我が家をことを振り返ってみた。毎日こんな風では我が身がもたない‥ましてや、土・日祝祭日に多少の賑わいこそあれ、平日はお客さんとの世間話やそば談義などを、楽しみとしている我が家とは、大分趣も異なるし、そばに対する思い入れも根本的に違う。そんなことを感じながら店を後にした。次に裏磐梯の麓にあるそば屋さんに入ったのが3時過ぎ。お店の人も素朴さに溢れ、店内の趣きも農家の古い佇まいをよく残している。すすめられたそば前酒を飲みほし、一口啜ったそばに思わず「うまい」と一言。今まであちこち訪ねあるいたそば屋さんの中では、この店に一番のそばらしさを感じ、最高の満足感を得る事が出来た。店内で見た乗馬鞍や擦り減ったような鐙に、かつては大陸の戦野を駆け巡ったであろう、その姿が彷彿と目蓋に浮かぶ。そして、軒先に並ぶ昔の古い農具を見ては、山里のふるさとで身を粉にして農に勤しんだ、ここのご主人を想像する。ひとりそんなことを思い巡らしつつ、口中に漂うそばの香りに余韻を残しながら店を後にした。そば屋さんの名は大堀という。

福島へのそば探訪から帰ってまもなく、商工会の日下さんから「ヤマニの蔵でそば打ちをしてほしい」との依頼をうけ準備していると、若い娘さんに「宜しくお願いします」と声をかけられキョトンとする自分。実は、村田新そば祭りの取材に来たミヤギテレビのアナウンサー後藤さんだった。老体ふるえる指先でそばを打ち、そして後藤さんの切ったそばを一緒に食べさせてもらうことができた。そしてここ、ヤマニ邸で個展開催中の日本画 千葉清澄先生ともご一緒に写真を撮らせていただくこともできた。

そばがとりもつ縁に感謝しつつ、なお一層老いの身を奮い立たせ、忠実にそばを追い求めたい‥‥

心静かに深くそう思った。

 

 

“宮テレの後藤アナとそばを打つ 失せる頭髪(かみ)の毛 生ゆる思いぞ”

 

2008年11月4日

 

今日は振替休日。

ゆっくりと疲れを癒したいと思ったが、ねぎや大根の手入れなどで、あっという間に1日は終わってしまった。今年の「蔵ingそば祭り」は好天に恵まれたのと三連休が重なり、多くのお客様にお越しいただいた。お客様に感謝すると共に、2日目には当日券が売り切れてしまって、食べられなかったお客様もいたという。せっかくお越しいただいたのに、大変申し訳ない、という気持ちで一杯だった。来年度は、この事をよく頭に入れておかねばならないし、反省すべき大事な材料のひとつであると思う。

そばの打ち手は我が村田手打ちそば組合4人、それに仙台のそば打ち教室「青葉会」さんのご協力を得て、粉にまみれながら香り高い新そばを打ち続けた。私の自己流そば打ちも「青葉会」さんと一緒に仕事をさせてもらうことで多いに得るところがあり、2日連続の疲れもどこへやら満足感で今年のそば祭りを終えることが出来た。

「多くの人との出逢い、色々な体験や出来事を通して、よりよい方向にしたい」

そう心がけることが明日への活力につながるのだ。そんな事を考えながらの野菜の手入れの一日であった。

 

「香り立つ  粉練り回す鉢の中  揉んで延ばして新そば食す」

 

2008年12月22日

 

 今年も早いもので12月も半ばとなってしまった。最近の感じたままを綴ってみたいと思う。

先月11月16日、近くに住む旧小泉小学校卒業生17人程が集まって同級会を催した。顔と名前はすぐ一致せずとも、昔の「はなたれわらす(鼻たれ童子)」に戻って昔話に花を咲かせた。お酒は尽きても話は尽きることはなく、床に就いたのは何時頃だったかは記憶にない。

 

 

 

同窓会から数日が過ぎ、竹内さんから「青森至楽舎の山谷先生の個展」が開催されるということを教えて頂いていたので、会場である仙台三越に出かけてきた。

「寒い北の大地から芽吹く、力強さを感じる自然の情景」 そんな山谷先生の絵画の数々に、帰るのも忘れて見入ってしまった。最後に、山谷先生と竹内さんと三人で、自分の気に入った絵の前で一枚とってもらった。そして後日、孫二人をつれて再び鑑賞にいってきたが、孫たちが大きく成長した時に、心の底から思い出してほしいと念じながら、自分自身の目でこの胸の中にきっちりと刻み込んで帰ってきた。

 自然の情景と云えば、小学校時代に教えられた「春の小川」とか「おぼろ月夜」、「茶つみ」などの唱歌は、自然をほのぼのと写し出し、また勤労の尊さをも唄い上げている。唱歌を「過去の文化遺産」としか見ていないような今の日本の風潮に寂しさを感じる。ましてや学校卒業時には、昔合唱した「蛍の光」や「仰げば尊し」などは人として最も基本的な姿を表わしたものだと思うのだが、こんな事を思い考える自分は今時において古いのかも知れない。 

こんなモヤモヤを払拭するかのように「たまゆらの産直市」の恒例もちつき大会が、今月20日、21日、晴天に恵まれ多くのお客様と餅つきを楽しんだ。2日間でついたもち米は3俵180Kにもなり、盛大だったもちつき終了後、皆で次のように語り誓い合った。

“我々生産者と消費者が直接交流するこのふれあいの場は、ここ「たまゆらの里」の元気発信の源として、また我々地域住民の心のよりどころとして、これから尚一層にぎやかに、そして力強いものにしていきたい”

  

 

ひさかたに集いし その顔しわ深く あどけな姿 いずこにあるや (小学校同級会にて)

 

2008年12月31日

 

 年末になると自分の恒例行事ともなったものが二つある。ひとつは我が母校である村田高校福祉課の生徒による老人施設へのそば打ち訪問のお手伝い、そして二つめは地区のしめ縄愛好会でのしめ縄作りである。まず、村田高校の老人施設へのそば打ち訪問は、教頭先生から1ヵ月以上も前から頼まれていたことなので、25日早目に我が家の準備を済ませ、生徒さんと一緒に施設へ向かった。お年寄の方々が、孫のような村高生の打ったそばに舌鼓をうつのを見ていると、自分も心から嬉しくなるし、生徒さんが卒業してからも、心豊かな気持ちを持って福祉や他の仕事に携わってもらえれば、これもまた嬉しく喜びでもあるのだ。このボランティア活動を10年以上お手伝いしてきたことが、自分のそば作りに幅を持たせ、また現在4種類のそばを作ることが出来たのだと思っている。どんなことでも共通することだが、必ず「こうでなければならぬ」と云うことはない。水前寺清子ではないが「押してもだめなら引いてみな」と云う文句の如しだ。

 そして二つめは地区のしめ縄愛好会によるしめ縄づくりである。今は亡き父がまだ元気だった頃に、何人かの若者に教えたことがきっかけとなり、今のしめ縄愛好会となって受け継がれている。しめ縄だけでなく、地区内の伝説や“いいつたえ”等も掘り起こしてはよく聞かされたものだ。それがいつしか人の知る事となって、フジテレビ系「いい旅日本 謎の伝説を求めて」と題して平成7年12月30日放送されたが、その時のリポーターがあの若村真由美さんと菅井きんさんのお二人だった。取材終了後に茶の間で自分が写したこの写真は、父が最後まで大事にし、そして自慢していたものだ。今自分が悔やんでいるのは、伝説や生活の知恵ともなるべき風習など、日常生活にまつわる諸々の事を、地区の古老たちからもっと聞いておきたかった事だ。自分も「善気好礼者」だからではないが、人間社会は老と若、男と女がそれぞれの「分」「立場」を考え「我慢」し、そしてお互いに「主張」することが、気持ちよい人間社会を営むことが出来るのではないかとは云うものの、平凡ながら毎日毎日生きていく事は、これまた大変な事ではあるとつくづく思う。

そして大晦日、今年も朝1時前に起床。無中で年越しそばを打ったのは云う迄もない。終了と同時に疲れもあったがお客様の要望に応えることの出来た満足感で、粉合せの冷たさも、はく息の白さも温泉の湯気のような感じだった。

 

 

 ゛粉合せ 手先かじかみ なるガニ手 そば粉(こな)ならぬ 粉雪なるや゛

 

2009年1月20日

 

 おくればせながら新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。一年で最も寒いといわれている“大寒”、今年は本日がその大寒れにあたる。地区の元旦会や町の公民館主催による新春顔合わせ会など、今年もなにかと気忙しい日々が続いた。なかでも約250名が参加した新春顔合わせ会には、手打ちそば組合4人で海老天そばを出すこととなり、その準備や当日の段取りなど、少ない人数で精一杯切り盛りして頑張った。その甲斐もあって海老天そばは皆さんから好評をいただき、終了後舞台をバックに記念写真をとってホッとしたものだ。そんなこんなのなか、嬉しさと元気づけられた出来事もあった。以前勤務していた民話の里からのお客様である村上さんご夫妻が「おいしいお酒を飲みましょう」と、そば前酒に自分も加えてもらったことだ。お昼過ぎのひと段落した時期と、空腹とかが重なり合って、その旨さが五臓六腑にしみわたったのをキッチリと実感した。旦那さんにはウーロン茶で申し訳なかったが、奥さんのお酌でコップを重ねてしまった。ありがたいやら嬉しいやら、そばのとりもつ縁に改めて感謝した次第。そして元気付けられたことといえば、昨年末仙台三越で個展を開催した青森至楽舎の山谷先生からいただいた一通の絵手紙。その絵手紙から「今年も年齢(とし)だなと言わずに一生頑張るぞ」との思いを強くしたことである。そばがとりもつ諸々の縁に深く感謝しながら迎えた今年の大寒であった。

      

 

 

 ゛妻ありて  そばと酒とを恋人に  

思い励みて  今年も一途゛

 

 

 

 

 

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