主のひとり言V

 

ひとり言其の十七

 

ひとり言其の十八

 

ひとり言其の十九

 

ひとり言其のニ十

 

ひとり言其のニ十一

 

ひとり言其の二十ニ

 

ひとり言其のニ十三

ひとり言其の二十四

2021年(令和3年)12月12日

 

初物(旬)ということ

亡くなった婆さんは何かというとよく言ったものだ。初物を食べると「75日長生きするんだ」と。

春夏秋冬、その季節ごとの野菜や果物などは仏壇に供えてから食べたものだ。今は季節の移ろいも薄らぎ、年から年中季節に関係なく野菜が食べられる。すべてにおいて季節感がなくなっているのが今の世の中だ。

家内の実家のお婆さんは法印という屋敷名のところから嫁いだ人。神仏に対する行いというのを子供の頃から見ていたせいか、朝は必ず仏壇と神棚にそれぞれのものをお供えし、手を合わせてからの朝食、そして夕飯はそれを下げてが日課なのだ。そんな家内の姿をみて、いつしか歯磨き洗顔後、仏壇には線香、神棚に向かって二礼二拍手一礼の後、作業に始まるのが日課だ。

そして、蕎麦においてもその折々の季節を大切にし、お膳に添える小鉢三品も季節ごとに変えている。年中通しての一品は切り干し大根の煮物、他の二品は季節ごとの野菜で提供している。今は柚子の節なので、大根の角切りに柚子の皮を薄く剥いた千切りと絞った柚子の汁を加えた一品を提供している。おそらくお正月すぎる頃まで柚子もあると思うので、来店するお客さんには柚子の香りと、冬の季節感を味わってもらいたいと思っている。

いま家内がやっている柚子の香りたっぷり大根の角切りは、指を傷つけないように柚子の皮を薄く剥くのが大変だと思う。それでも家内は「柚子がある限り柚子の香りをお客さんに味わってほしい」と頑張っている。

          

“柚子の皮 薄く剥いて ワタつけず 細く千切り 漂う香り”

2021年(令和3年)12月26日

 

昨日の夕方眺めた蔵王の山々は黒い雪雲が湧き上がっていた。これは‥と心配したとおり朝は一面の雪であった。“不要不急の外出は控えるように”とラジオは時折放送していたこともあり、来店するお客さんはあまりいないと思いきや、おなじみの方々や「年越しそばのつもりで今日食べに来ました」というお客さんなど、予想以上の来店でありがたい気持ちの雪の日曜日であった。

今年は家内が一時体調崩して休業することがあった。何年か前に自分も腰の痛みで休業したこともあり、お客さんから心配する声を頂くことがある。「お蕎麦食べにこられなくなると大変だからお二人とも体に気をつけてね」と言葉をかけて帰るおなじみさんたち。10年位前だったら楽に持つことのできた玄蕎麦一袋22kgも今はやっとの思い。しみじみと歳をとったことを実感として味わうのだ。

しかし、「体に気をつけてね」と案じてくださるお客さん達の為にも、八十路坂の老体を労りながらの来年にしよう。そのためにも、九ちゃんの”上を向いて歩こう”というあの軽やかな歌のように、気持ちだけは上を向いて、また来年もお客様方の会話を楽しみながらのそば打ちに励みたい。

          

“チョコちゃんも 竹内様も 我もまた 八十路なれども 気持ちは上に”

2022年(令和4年)1月10日

 

初詣

成人の日にふさわしくこちらは春の陽気を感じさせる暖かさだったが、日陰の雪を見るとなんか寒さを感じる。

早いもので干咾不動尊に初詣をしてから早くも一週間が過ぎた。8日から営業再開しあっという間に正月休みも過ぎ去った。

振り返れば年末の年越し蕎麦は予想外に注文が多く、大丈夫だろうと甘く見て29日の午後から切り始めたが、30日の夜12時を過ぎてもまだ半分にもならず気持ちは焦った。しかし受けた限りは「できませんでした」とは間違っても言えない。ここはやるしか無いと覚悟を決めたら眠くも辛くもなかった。ただやるだけ‥その想いだけで終了したのは明け方だった。

朝食を済ませ1年間世話になった方々に年越し蕎麦とあいさつ回り、誰よりも早く夕食を済ませて一番風呂に入ると、孫たちが入れ替わり立ち替わり「じいちゃん眠るなよ」と声をかけに来る。何故だろうと思ったその訳は、「風呂に入って眠っているかもしれないのでこまめに様子を見て来い」との両親の指図だった。大晦日恒例の紅白歌合戦を観るため家族は起きていたが、私は一番早く床につき目を覚ましたのは翌朝の7時30分であった。目覚めて外を眺めれば年末の雪で辺り一面真っ白な雪景色、正月らしい気分になったのは言うまでもない。

小泉小学校時代の友人と元朝の8時30分、お不動様への初詣の約束は数年前から行っている。お不動さんの滝に向かって心清らに参拝し、不動尊お堂に入って今年一年の安穏を祈願してもらった。爽やかな気持ちで帰宅し再び眠りの床につき、周囲一面の雪景色の中で本当の寝正月を味わった次第。寝ながらも「みんな健やかなれ」と滝の前で拝んだ気持ちも、夢の中で静かに眠っていたようだと聞いたのは孫からであった。

          

“皆ともに 健やかなれと 初詣 心清らに 寅年の元朝(朝)”

2022年(令和4年)1月23日

 

亜麻色の髪の乙女とおじいさん

人を写してあげることはあっても自分を写してもらうことはあまりないが、今年の元旦に小学校時代の同級生夫婦と自分達がカメラに収まったのを見て、やっぱりおじいさんというのがわかる。

先日、長い髪を両方に振り分けた女性が車から降りて店に入った。その髪の色から「亜麻色の髪の乙女」という歌があったことを思い出しながら蕎麦を打っていた。まもなく娘がそばに来て、あの髪の長い女性は、年越し蕎麦を買ってもらった人で、“昔おじいさんに食べさせてもらった懐かしい味だったのでまた食べに来た”と話してくれた。外に出てくるのを待って話しかけたら、いかにも懐かしい味を噛み締めたというような顔で、“美味しく食べました。子供の頃に食べたおじいさんの蕎麦を思い出しました”という。自分の打った蕎麦が若い人の口にもあったと聞き、嬉しくなり“折を見てまた食べに来てね”と声を掛け見送った。自分も蕎麦を打ち始めた頃、婆さんに食べさせてもらった味を出すために、粉挽きや配分の割合を工夫して今の蕎麦になったのを考えれば嬉しい限りだ。おじいさんの蕎麦を目指して、昔の味を損ねることなくこれからも蕎麦打ちを続けていきたい‥そう思ったのもあの亜麻色の長い髪の女性の一言だった。

話は変わって、毎日安全安心な暮らしをしていけるのも、駐在所のおまわりさん方が朝な夕なのパトロールで、地域の安全安心に御苦労なさっているからなのだ。戸崎巡査部長は朝早い通学時間帯や夕暮れ時に町内をくまなく巡回しながら、地区内の各種団体や幼稚園などで講演も行なっている。その気さくな人柄と話の上手な講演は聞く人を飽きさせることがない。巡査部長という堅苦しい肩書からはとても想像できないのだ。

 

          

“紅花の町 話し上手で パトロール 居眠りあくび する人ぞなし”

2022年(令和4年)2月16日

 

え!お巡りさんがゆすり?

早いもので2月も半ばとなった。寒暖の差が激しい日々の中お客さん対応をしていると色んな出来事がある。その中から今も気になっている出来事を書いてみた。

ひとつは駐車場での出来事。我家の駐車場は広くないので混んできたときは表にでて駐車位置を誘導している。そんなある日、一台が入口付近に停めて店に入った。今日は混まないだろう‥と想って様子をみていたら、次に入ってきた車が入口を塞ぐような感じで停車した。急いで外へ出て頭を下げながら空いている場所に誘導しようと指差した。運転していた女性はしばらく自分の方を見ていたが、アクセル音と共にバックして方向転換をすると同時に立ち去って行った。なんか自分の誘導の仕方が悪かったのか‥家内にその事を話すと「だから何処へ停めようと好きなようにさせておけば」と言う。我が家の駐車場は東から入って西に出る押し出し式なので、混雑する時は誘導して駐車してもらっている。こういう事の繰り返しの中で先程のような事があると自責の念にかられながらも、駐車場を上手く利用してもらうために誘導は続けたいと思う。

 もうひとつ気になった出来事がある。地元の責任者が本社役員の方を案内してご来店された時の事。地元の責任者は軽、本社役員は黒塗りの社用車での来店。食事を済ませると運転手らしき人が車を玄関まで横付けし、役員と思われる方々が乗り込むと同時に店を後にし、地元の責任者も後を追うように帰られた。どちらの車にも感謝の気持ちを込め一礼をしたが、果たして満足して帰られたのか少々気になった。海老やキノコなどの天ぷらも付かないたった小鉢三品だけの蕎麦。蕎麦本来の味を楽しまれる方々であればいいのだが、もしかして「なんだあんな蕎麦屋に案内して」と怒られているではないかと思った出来事であった。

 話が変わって今年も寒晒し蕎麦の準備をしている。美味しい寒晒し蕎麦を提供するために大きな水槽に水を一杯にし、網袋に入れた蕎麦の実をゆすりながら、あく抜きをする作業を2、3日ごとに繰り返している。そんなある日、パトロ−ル中のお巡りさんが「何をしているの?」と立ち寄ってくれた。やってみますかと投げかけたら自分より上手にゆする作業をやってくれたので、「今年は美味い寒晒し蕎麦ができるね」と御礼の言葉を述べた。

          

“蕎麦の実は ゆすりゆすられ 今日もまた あくを流され いやます甘味”

2022年(令和4年)3月27日

 

頭寒足熱と言うけれど!

今年はいつになく頻繁に雪が降った。雪が降った朝は、いつもより早く起きて駐車場の雪掻きを済ませてからの蕎麦打ちとなる。さすがに若い頃と違い体全体に痛みを感じたものだ。それでも雪の中おいでになったお客さんの顔を見ると、感謝と御礼の気持ちで疲れも忘れ、蕎麦を切る手も自ずと弾んでしまうから不思議なものだ。

お客さんと雪や寒さの話になると、自分は自ずと頭に手がいってしまう。カミソリで綺麗に剃った夜は、寒くて寝られず、頬かぶり(ほっかぶり)をして寝たものだ。それが最近では丁寧に剃りおろした頭でも寒さを感じなくなった。暑さ寒さも彼岸までということわざ通り、寒さが緩んで春が近づきつつあるというものだ。

19日から今年の寒晒し蕎麦の提供を始めた。今年は自分の挽いた粉に、蕎麦組合で試行錯誤して挽き上げたたまゆらの蕎麦粉を、10対1の割合で混ぜ合わせた結果、去年よりも深い甘みを感じ、喉越しも今までと違った感触を感じている。不思議なもので同じような性質のものでも、混ぜ合わせることによって、さらに良き結果が得られるという事をこの歳になって実感した。

遠いところから我家の蕎麦を食べにおいでになるお客さんに対して、極力お客さんと会話を楽しみ、帰られるお客さんの車に向かって、感謝の念を持って御礼の挨拶をしている。四季折々の変化を楽しめる蕎麦、健康にも良いと言われる蕎麦を食べ、我もお客さんも健康で一日一日を生きる喜びを持って、明日に向かって前進したいものだ。

          

“米もまた 蕎麦も同じく 食を食む 日の本に生まれし喜び 蕎麦を味わう”

2022年(令和4年)4月16日

 

我が家の看板犬“チョコ”

我が家には“チョコ”と名付けた保健所から譲ってもらったワンちゃんがいる。我家の看板犬ともなった“チョコ”は、愛嬌が良くてお客さん方に可愛がってもらっている。毎週日曜日にお見えになるAさんご夫婦の赤い車を見つけると、飛び上がってシッポがちぎれるばかりに転げ回る姿は、見ていても微笑ましいものだ。ところが同じ赤い車でも、Aさんご夫婦の車ではないと判ると、ちっとも動かずただじーっと見つめている。きっと近寄って遊んでほしいとの想いを込めているようだ。犬に関心のない人はそのまま入店するが、犬好きの人は車から降りるとまっすぐ“チョコ”に向かう。“チョコ”もこのお客さんは可愛がってくれると判るらしく、シッポを振りながら飛び上がって愛嬌をふりまく様子は、鎖が切れるのではないかと心配するほどだ。人の気持ちを察するのは“チョコ”だけでなく動物全般に共通するのだろう。人間が思いを寄せれば寄せただけ動物は寄ってくるから可愛いものだ。

我が家の“チョコ”は、10年ほど前に誓約書を書いて保健所から譲ってもらった。その当時は手のひらに入るほどの小さな子犬だった。だから孫たちは栄養のある缶詰などを餌として与えて大切に育ててくれた。お陰でだいぶ丸くなり毛並みも良くなったし、持ち上げても随分重くなった。

          

“見えないが 思いを感じるチョコの胸 目には見えずも 体で感ずるその心”

2022年(令和4年)4月27日

 

人は責任と義務を背負っている

長い自分の民生委員生活の中で、当時の会長さんだった桜中さんから受けた言葉は、民生委員としての心構えだけでなく、退任してからの生活の中で自分の胸に大きく宿っている。

先日開店して間もなく入ってきた一台の車。その車から降りた後ろ姿に見覚えがあった。駆け寄って“桜中さん”と声をかけると、“おう!千ちゃん”と元気な声で返事をもらった。“今日は天気が良かったので一緒に食べにきました”と息子さん夫婦から挨拶を頂いた。自分より早く退任された桜中さんであったが、なにかしら自然と在任中の事に思いが走った。当時桜中さんは多忙な家業でありながら、町の消防団長をはじめ様々な役職を兼任され、その責務を忠実に果たされておられた。消防団に在籍していた春の演習時の桜中団長さんの号令は、グラウンドの隅々で萎れていた様な青草もビックリして元気に立ったのではないかと思ったほどであった。その桜中さんから3年に一度実施される研修旅行への参加するかどうかの確認があった。先進地における民協との交流研修、委員同士の親睦研鑽を深める大事な行事ではあったが、我が家の都合を考えると参加する事が難しい状態だった。その旨を直接伝えるべく会長さん宅を訪れた。“まずお茶でも飲もう”と温かく迎え入れお茶を飲みながらの接し方は、あの演習時の号令とはまったく違って優しい語り口調で、頑なになっていた自分の胸が大きく広がるようであった。帰り際には“今度の研修旅行には参加させてもらいます”と言って会長さん宅を後にしていた。

人は何事にも責任と義務というものを背負っているのではないだろうか。そんな事を深く考えさせられた出来事であった。それ以降3年に一度の研修旅行には迷わず参加している。桜中さんが民生委員を定年退任される時、挨拶の中で次第に声が震え光るものがあったのを覚えている。何十年と自分の職責を全うした自分自身に対するご褒美なのかと思うと、自分も胸が詰まる思いであった。平成16年11月、永年の想いを込めた蕎麦屋開業の折に記念として頂いた時計は、1分の狂いもなく今でも正確に動いている。因みに千寿庵という名前は桜中さんがつけてくれたものだ。

 

    “あの時の 受けた話の 数々が 我の礎 生きる源”

 

 

2022年(令和4年)5月22日

 

想いを簡潔に‥

自分の想いや相手に伝えたい事を三行の文章で簡潔にまとめることを三行革命というらしい。この簡潔明瞭な手紙を今も実践されておられるのが竹内様である。青森県人の竹内様が開業間もない頃に来店し、天井に下げられた青森の絵凧に深く感じるものがあったらしく、それ以来三行の簡潔明瞭な手紙を頂くようになった。一緒に来店された山谷画伯のコピーを毎月送ってくださる時も簡潔明瞭な手紙は同封されていた。竹内様と郵便のやりとりを始めて10年以上になる。こちらは手紙やハガキを書くにしても、いつも手元に辞書を置いて、漢字や文の使い方に間違いはないかと、頭を捻りながら老いの勉強をさせてもらっている。

竹内様は昭和30年に郵政職員となって以来、強い責任感で職務を果たした事が認められ、平成6年仙台中央郵便局長、平成8年メルパルク仙台の総支配人という重要な役職をこなしてこられた方。自分のような田舎の年寄が相手にしてもらっていることは大変ありがたいことである。しかも、若い頃冬季集配請負人として約30年世話になった地元郵便局の局長さんにどこか似ている事もあり、親しみを持って手紙のやりとりをさせてもらっている。「三尺下がって師の影を踏まず」という諺があるが、こちらはありがたいことに師の影を踏みながら勉強させてもらっているのだ。

その竹内様が今年もご家族で5月3日来店された。チョコも待っていたかのように尻尾を振りながら、無心に戯れる姿になにか微笑ましいものを感じ、パチリと1枚撮らせてもらった。

 

“来店し 老いたるチョコと戯れるは 郵政極めた 好々爺”

2022年(令和4年)7月16日

 

秋田へ‥

6月14日と15日の2日間店を休業し、孫に乗せられて秋田の従妹のところに行ってきた。何十年か前、東足立の叔母の家の近くに東北自動車道の工事事務所が設置され、従妹がそこの事務所で働くことになった。たまたま秋田から働きに来ていた若い衆に従妹が見初められそのまま秋田の人となった。すっかり秋田弁となった従妹との電話、最初は聞き取りづらかったが今では何の不自由もなくやり取りしている。昔の写真を見つけてラミネート加工して送ってやると、懐かしくて何度も見返しているという。若い頃叔母の家に農繁期の手伝いに行っていた事があり、夕方中学校から帰ってくるなり夕食の支度をするのが従妹の仕事だった。今でもその時の甲斐甲斐しく働く様子が思い浮かぶ。

自分が蕎麦屋を開業すると早速叔母と娘たちを連れて何度も蕎麦を食べに来てくれた。「そのうち秋田にも遊びに来てよ」と誘われることが度々あり、今回孫に乗せられてようやく長年の夢を果たすことができた。

夕食を頂いた後は従妹の亭主と2人で夜遅くまで飲みかわした。「昔は度胸とハッタリでやってきたが、今はもう息子の時代。すべての土木建設の資格を持った息子から仕事を貰う立場になった」と笑いながら話してくれたことが印象深かった。翌日は田沢湖を一周し、その後角館市内の有名な蕎麦屋さんで昼食を御馳走になり、我家に帰宅した時にはすっかり日が暮れていた。

 

            

“この孫が成人と成りてし 教えこう つくづく感じる 機器の明るさ”

 

 

inserted by FC2 system