主のひとり言V

 

ひとり言其の十七

 

ひとり言其の十八

 

ひとり言其の十九

 

ひとり言其のニ十

 

ひとり言其のニ十一

 

ひとり言其の二十ニ

 

ひとり言其のニ十三

ひとり言其の二十四

2024年(令和6年)2月17日

 

変わらぬ蕎麦への想い

早いもので2月も半ばとなった。明日からの3連休を前に今日までの事を振り返った。“光陰矢の如し”と言うがこの歳(83歳)になるとしみじみ感じる。元旦はいつものようにお不動様に参拝した。流れの少ない滝の奥深く鎮座する不動明王に深く拝礼、家内安全を願うとともに蕎麦に対する探究心を強く心に刻んで帰宅した。

 蕎麦といえば昨年9月、長年の夢であった“あの時の蕎麦の味をもう一度味わいたい”との思いで孫に乗せられて目的地に向かった。当時は川沿いの曲がりくねった細い道だったが、孫が運転する車は立派な広い道を走って着いた場所には立派な製粉工場や資料館、物品販売所や観光案内所などが立ち並んでいた。ここで地区内のお店を紹介するパンフレットを頂いた。昔訪れた時はどこへ行っても農家のような店が並んでいたが、頂いたパンフレットに載っているお店はどこも立派な店構え。そしてお店の主人らしき人が小型の製粉機で作業している様子が載っていた。落ち着いた雰囲気で香り豊かな蕎麦が味わえると思い、さっそくあるお店に入って蕎麦を注文した。

出てきた蕎麦を一口啜ってみたが何かが違う。もう一口啜っても昔食べたあの時の蕎麦の味わいが出てこない。何故なのかと思い浮かべると、途中見かけた立派な製粉工場からの調達品なのではないかと感じた。これではどのお店で食べても同じような蕎麦ばかりで、お店独自の蕎麦の味わいは出せるはずが無いと感じた。そう思うと、はるばるやってきたのが損したような思いだ。だからこそ今自分が粉まみれになっての粉挽き作業は大事にしないといけないと強く思ったことが唯一の収穫だった。

さて話は変わって我が村田町の今年の賀詞交歓会での事。暫く蕎麦の提供を中止していたがコロナが第5類に移行したことに伴い、“是非とも再開したい”という町長の要望もあり、正月5日夕方の賀詞交歓会には300人余りの参会者に温かいかけ蕎麦を提供し多くの方々から好評を頂いた。賀詞交歓会の終了後に町長を囲み組合員関係者一同舞台の前で記念撮影し労をねぎらった。

 

  “たまゆらの吾等が挽きし粉でうつ 年のはじめの めでたき蕎麦よ”

 

2024年(令和6年)3月17日

 

死ぬまで元気で

村田町社会福祉協議会では65歳以上を対象にした「悠々元気クラブ」を地区ごとに開催している。町内外の管理栄養士、整骨院などの多種多様な先生方をお招きし、健康寿命を伸ばすための食事や簡単な身体の体操などの講義や講座が開かれている。

この「悠々元気クラブ」は該当する地区の区長さんが責任者となって年6開催されている。開催日が月曜と火曜のどちらかだと店の定休日と重なるので婆さんと2人で参加できる。しかしそれ以外の曜日の開催だと自分1人しか参加できないので、受講した内容を翌朝のお茶飲み時間に婆さんに話して聞かせている。令和6年度の開催日程を見ると毎回、月曜か火曜のどちらかになっているのは嬉しい限りだ。これは区長さんが何らかの努力をしてくれたのではないか、と勝手に解釈して心のなかで感謝している。ちなみに講義講座の後にはみんなで歌う事になっている。童謡の時は自分が下手なハーモニカで伴奏をしている。しかし歌謡曲や演歌となると、ハーモニカ伴奏はできないので皆と一緒に大声で合唱している。そうこうしているうちにいつしか終了の時間となり帰りのバスがやってくる。社協の係員さんがバスに乗りやすくする為に、踏み台をすばやく設置してくれる。参加者全員が乗り終えると、参加者はバスの窓から、社協の関係者は玄関から、と互いに手を振り合って1日の悠々元気クラブの活動は終了となる。今回は大宮整骨院の針の若先生を囲んでの記念撮影となった。

 

  “尻に打つ 針の治療は心地よく ふと気がつけば身体は軽く”

 

 

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